初鹿親子を支え続けた「土屋先生」
「親子鷹なんて言っても、監督としての立場から、特別に手を掛けてあげることはできませんでした。その分、土屋先生が思いを汲んでくれて、愛情を注いでくれた。僕も泰聖も、それがあったからやれた3年間でした」
「土屋先生」とは、知徳高校野球部の土屋昇彦部長のことだ。文彦は土屋を「家族」とてらいなく言う。
土屋は山梨学院高校の野球部で主将を務め、日体大に進学した。日体大では野球ではなく、体操部に所属していた。オリンピックで馴染みの「器械体操」ではなく「徒手体操」。NHKの「体操のおにいさん」で人気者になった佐藤弘道と同級生だった。
大学を卒業後、塩山高校に体育教員として赴任。「部活(顧問)は何する?何かスポーツやっていたの?」と聞かれ、「高校まで野球をしていました」と答えると、「ちょうど野球部の顧問が空いている」と即決だった。
勇については、厳しい指導者という噂が耳に入っていた。実際に初日から、悪いイタズラが見つかってこっぴどく叱られた部員が、土屋の足にしがみついて助けを求めてきたという。その赴任の年に入学してきたのが文彦だった。
3年後、勇が日本航空から誘われた時には、「俺は(日本航空に)行くけど、お前はどうする?」と聞かれ、「一緒にやりたいです。連れて行ってください」と即答した。公立高校で安定した教員生活を送ろうという考えはなかった。「監督の行くところに行きたかったので」と土屋は振り返る。
勇は「だったら、先に行っておいてくれ」と言った。息子が卒業する年に、監督とコーチが一緒に辞めたら、世間から悪い噂を立てられるかもしれない。
「俺はここに残って後始末をしてから行く」と。それは言い換えれば、「自分が行くまでに、地ならしをしておいてくれ」という意味でもあった。単身日本航空に乗り込んだ土屋は、そこから2年間、勇が赴任して来た時に不自由なく指導ができるようにと準備に奔走した。