東京都内のホテルで開かれたドラフト会議(写真:共同通信社)

 先日行われたプロ野球ドラフト会議で、東北楽天から6位指名を受けた九谷瑠投手(王子)。昨年末までみそかつ店の配膳係をしていた25歳の右腕は、MAX153kmのストレートを武器に、この夏の都市対抗野球でチームを優勝に導き、大会MVPの『橋戸賞』を獲得した。突然、野球界の表舞台に現れ、一気にプロまで駆け上がったそのシンデレラストーリーを追う。
(矢崎良一:フリージャーナリスト)

 思わぬ形で九谷の経歴がクローズアップされたのは、都市対抗の試合後に行われたヒーローインタビューだった。

 アトラクションでインタビュアーとなった子ども記者から「以前はお店で働いていたそうですが」と質問を受け、「はい。みそカツの『矢場とん』で働いていました。お客さんがたくさん来て、ホールがごちゃごちゃになって大変でした」と答えると、スタンドは笑いに包まれた。

東北楽天から6位指名を受けた九谷瑠選手

「矢場とん」とは、名古屋を中心に海外を含め全国に30を超えるフランチャイズ店を持つ味噌カツ料理の専門店だ。

 九谷とは何者なのか?まずは、そのキャリアを追ってみよう。

「矢場とんブースターズ」に入るまで

 滋賀県の堅田高校出身。投手として入学したが、2年生の時に背番号6番のショートでレギュラーとなり、2番手としてマウンドにあがっていた。しかし、「球速は130kmにも届かない、普通よりもちょっと下くらいのレベルのピッチャーでした」と自ら言う。

 3年夏のベスト8が最高成績だが、それ以外の大会はほとんど初戦敗退だった。それでも打者九谷は、最後の夏、4番を打ち打率4割を超えていた。

 大学は近畿学生野球連盟の2部に所属する大阪大谷大。野球部のセレクションを受けて合格したスポーツ推薦だが、野球で上を目指すというよりも、「将来高校野球の監督になりたいと思っていたので、教員資格を取るために進学した」。

 バッティングを評価されての入学だったが、入学後、投手に再転向。1年生の秋から公式戦に登板し規定投球回数に到達する。

「投手陣にケガ人が続出して、『とりあえずストライクが取れるヤツに投げさせろ』ということで、僕が出番をいただいて。相手もデータがなかったので、通用していたのでしょう」

 2学年上と3学年上に150km近い球速を出し、卒業後に社会人野球に進んだ投手がいた。彼らと一緒に練習することで、野球に取り組む意識が変わり、「上を目指す」意識が芽生え始める。

 3年生の春、コロナ禍でリーグ戦が中止になり、練習も制限される中、身体作りから取り組みを見直した。

 大学のバレーボール部の先輩から紹介された治療院の先生に身体の機能的な使い方を教わり、それまで腕の力に頼っていた投球フォームを、下半身と上半身を連動させる捻転力を使うことを意識したものに修正。ボールへの出力が上がり、130kmそこそこだった球速が140km台中盤まで上がった。

 結果的に1部リーグへの昇格は果たせなかったが、4年生の秋に2部で3勝を挙げてリーグ敢闘賞を受賞した。

 卒業後は社会人で野球を続けたいと考えていたが、企業チームはコロナの影響もあってなかなか採用のチャンスがなかった。唯一、先輩のツテを頼って練習に参加したのが、矢場とんが設立したクラブチーム『矢場とんブースターズ』だった。そこで「ウチでやる気があるのなら採用する」と内定をもらった。

「自分がどこまで通用するのか試したい気持ちもありました。やる以上はプロという目標を持って、ドラフト指名の可能性がある2年か3年で結果が出なければ、そこでキリをつけようと決めました」