決勝戦の9回も150kmを超えるストレートを連発
何よりも、社会人とはいえ野球中心の生活ができることがうれしかった。最初はそれに対応する体力がまだなかったが、練習やトレーニングについていくうちに体力も上がり、それが技術につながってくる。
王子を率いる湯浅貴博監督も、合流時は「マイペースでやれ」とむしろ飛ばしすぎを諫めた。その後、春になると地方大会に起用。そこで好投して手応えを掴むと、今度は登板を減らして他チームにデータを収集されるのを避けた。湯浅は九谷を都市対抗の秘密兵器と考えていた。
「自分のボールを投げて、『どこまで通用するんだ』という楽しみがありました」と九谷は言う。ただ、これまでの「企業チームを倒したい」から、「都市対抗に行かなくてはいけない」と、周りから結果を求められる立場に変わった。そのプレッシャーは、都市対抗が始まってからずっと感じていた。
社会人野球界で最激戦区と言われる東海地区。都市対抗は予選からフル回転を求められた。王子は予選敗退の危機に追い込まれながらも、敗者復活のトーナメントを勝ち上がり、東海地区の最後のイスとなる第6代表を勝ち取る。
九谷は全7試合中5試合に登板。そのうち3試合に先発。141球を投げて完投した翌日もリリーフで登板。本大会でも初戦の先発を託され、準々決勝からは3連投。決勝戦では6回からリリーフで登板し、そのまま胴上げ投手となった。
矢場とん時代にもこうした連投は経験していた。だから、それ自体を不安に感じることはなかった。ただ、「その頃のようにやみくもに気合と根性でマウンドに上がるのではなく、登板過多になった時のコンディショニングについても、あらかじめトレーナーと話し合って、どういう調整がベストなのかを見極めていました」と言う。
決勝戦の9回、最後の場面。150kmを超えるストレートを連発し、まさに力でねじ伏せた。この活躍で、夢だったドラフト指名、プロ野球入りを一気に手繰り寄せた。
まもなく開幕する社会人としての最後の大会『日本選手権』では、「あれが九谷だ」と注目されながら投げることになる。「正直うれしいですよね。見られているという。プレッシャーとかは全然ないです」と笑う。
「ずっと、SNSとかで『プロ注目選手』に自分の名前があったりすると、もしかしたら本当に呼ばれるんじゃないかとうれしい気持ちになっていたんですが、自分が本当にプロに行けるなんて、ちょっと不思議な感覚があります」
25歳でのプロ入りだが、「自分の中では年齢は全然気にしていません。『まだ社会人4年目』と考えています」と言う。
「年齢よりも、キャリアという考え方をしています。身体もどこかが痛いわけではないし、全然不安はないです。野球年齢が若いので」
今もアマチュア野球には、1年前までの九谷と同じように、クラブチームなど陽の当たらない境遇で努力を続けている選手がいる。九谷の活躍は一つの前例を作り、彼らに夢を与えることになった。
「古巣の矢場とんの選手にしても、僕の今の姿を見て、諦めなければできると思ってくれたらいいですね。でも、僕も『もう言い訳は出来ないんだよ』というくらいのまでやったので、『そこまでやらなきゃダメなんだ』ということは言いたいです」
こうして企業チームでやれたことも、プロに行けることも、野球の技術だけでなく、人との縁とか運という要素がある。それを掴むのも、結局自分が我慢強く努力していなくてはできない。「そういうことは伝えられたんじゃないか」と九谷は胸を張って言う。
社会人野球の面白さを味わった25歳の夏。そしてプロ野球にステップアップする26歳の秋。九谷瑠のこれからの野球人生には、楽しみしかない。
【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。