金沢慧氏。独立リーグチャンピオンシップで(筆者撮影)
目次

 金沢慧氏といえば、NHK BSの人気野球番組「球辞苑」にデータ担当として出演していたことで、覚えている人も多いかもしれない。当時は「データスタジアム」所属のアナリストだった。

 筆者はその頃から、いろいろなところで顔を合わせるようになった。筆者が『データ・ボール』(新潮新書)という本を上梓する時には、最初に相談した一人でもあった。

 金沢氏の守備範囲はやたら広い。単なるアナリストとか、ジャーナリストみたいな肩書ではくくれないユニークな人だ。いったいどんな人なのか、じっくり話を聞いてみることにした。

野球少年から野球ヲタクに

「幼稚園の頃からキャッチボールをしていました。小学校3年で野球チームに入り、翌年の長嶋茂雄監督率いる巨人と中日の『10.8決戦』はテレビに食い入るようにして見ていた記憶があります。当時は、毎日テレビで見ていたジャイアンツ、そして西武線沿線に住んでいたので西武のファンでした。

 中学から福島県に移って、高校は白河高校。中学からの野球部の2歳下にタレントのあばれる君がいました。小学校の時はキャッチャーでしたが高校ではサードでした。3年の夏は日大東北に0-7でコールド負け。学習院大学では野球部には入らず、野球サークルで部長を務めていました」

 金沢氏の「野球ヲタク」の気性に火が付いたのが、大学3年の時だった。

「阪神園芸で、甲子園の整備員のアルバイトをしたんです。その経験を書いたweb記事の評判が良く、別に野球だけで飯を食いたいという気はなかったのですが、この経験で何か野球の仕事はできそうだ、というイメージが湧いたんですね。

 大学時代には野球専門誌の『野球太郎』(当時は『野球小僧』)のライター講座を受講して、ライターとして選手名鑑などの記事も書いていました。

 ここから筑波大学大学院に進み、体育・スポーツ経営学の研究室で学びました。修士論文のテーマは総合型地域スポーツクラブでした。でも、一般企業の就職活動もしていましたし、最初は新卒でスポーツの道に進む気持ちはなかったんです」