不機嫌な人の「原因」より「目的」を考えてみる
たとえば、イライラしている人は、「イライラする」という態度を通して「自分は忙しいことをわかってほしい」とアピールする「目的」があります。
あるいは「ものごとがうまくいっていないことを伝えたい」という「目的」もありえます。
「不機嫌」という感情についてアドラーはこういう言葉を残しています。
「この子が社会的なつながりを取れないこと、その結果、不機嫌であることが彼女に残された活動のほんの数少ない領域の一つだということを示しています。不機嫌であることは、彼女の母親を拒む最良の手段でもあり、だからこそ、不機嫌であることを好んでいるのです」
『アドラーのケース・セミナー』
つまり、「不機嫌でいること」は「母親を拒む」という「目的」を達成するための最も良い手段だということです。
不機嫌な人を見ると、多くの人は「彼・彼女に何があったのだろう」と「原因」を探ろうとしがちです。
しかし、先ほどもお伝えしたように、人間は、同じ状況・環境であっても、同じ行動をとるわけではありません。
「○○だから、必ず××になる」「○○する=××になる」という、因果関係が成立しているわけではないのです。
であれば、「なぜ少女は不機嫌なのか」と「原因」を考えるのではなく、「何の目的があって不機嫌でいるのか」と「目的」を考えたほうが適切といえます。