「全議員からの不信任決議」に対する本音
再出馬を決断したのは前日の朝、高校生からもらった応援の手紙がきっかけだったと目を潤ませた。
「やめないでほしい。知事のやってきたことは高校生にも響いている。負けないで頑張ってほしい、と」「こんな自分でも期待してくれる人がいると思うと、グッとくる」
知事という権力者に問われる公共への責任や公職者の資質を度外視し、自分個人の物語に変換して美談に仕立てる。県議会や県職員からまったく信用されていない中、どんな仕事ができるというのか。元県民局長の告発文書は内容を調べずに「真実相当性がない」「誹謗中傷性が高い」と断じたのに、自分への応援は全面的に受け入れ、利用していることにも違和感を禁じ得ない。
そして、マスコミ各社が最も注目し、取り上げたのは次の言葉だ。「不信任決議に納得しているのか」と問われて、斎藤は言った。
「議会の判断だが、本当にそこまでいかなければならなかったのかという思いは正直ある」
自分にも至らない点はある。しかし、そこまで悪くない。不信任を突き付けられるほどではない。おそらくこれが半年に及んだ一連の文書問題を通じた斎藤の本音だろう。そう私には聞こえた。
「公務員として失格」——元県民局長をなじったその言葉は、議会の総意で知事の座を追われた自分自身にこそ、向けられるべきではなかったか。