「道義的責任というものが何か、私にはわからない」
独善と、有無を言わさぬトップダウン。前知事を支えた体制や職員を排除し、片山安孝副知事(7月末で辞任)ら4人の側近たち——斎藤の宮城県庁時代に親交を深めたことから「牛タン倶楽部」と揶揄された——に権力を集中させていった。
そして告発文書への対応を初手から誤り、軌道修正の機会も逃して斎藤県政は3年余りで瓦解した。「嘘八百」「公務員失格」と息巻いた3月27日の記者会見から、ちょうど6カ月での幕引きだった。
感情のスイッチを切ったような無表情と冷酷な言葉。そこににじむ独善性と開き直り。この間の斎藤の言動は、あくまで自己の正当性を主張する狙いとは反対に、どんどん自分を窮地へと追い込んでいった。
二度目の証人尋問となった9月6日の百条委では、県行政トップとしての道義的責任を問われ、「道義的責任というものが何か、私にはわからない」と繰り返した。元県民局長の「一死をもって抗議する」という言葉を引用した追及に対しては、「亡くなった理由は本人にしかわからない」と言い放った。
こうした態度が県議会の全会派・全議員による不信任決議という前代未聞の事態を招いた。
〈行政の長たる知事の職責を果たすためには(略)人として守るべき倫理・道徳や人権感覚に基づく道義的責任がより強く求められるが、「道義的責任が何かわからない」との知事の発言から、その資質を欠いていると言わざるを得ない〉
〈県民の信頼を損ない、県職員を動揺させ、議会を巻き込み、県政に長期に渡る深刻な停滞と混乱をもたらしたことに対する政治的責任は免れない〉(9月19日、兵庫県議会不信任決議より)
明らかに自分の存在が県政を停滞させているのに、「県政を前に進める気持ちは変わらない」と繰り返し、その負託を自分は受けていると主張する。県議会、職員労組、マスコミや世論からも辞任圧力を受けながら、職にとどまり続けた理由は何なのか。