岩瀬忠震

(町田 明広:歴史学者)

堀田正睦の諮問と岩瀬忠震

 安政4年(1857)10月14日、ハリスは江戸に到着して蕃書調所に入った。21日、ハリスは江戸城で13代将軍徳川家定に謁見し、ピアース大統領の親書を奉呈した。26日、ハリスは堀田正睦邸に招かれ、そこで世界の大勢を長々と論じ、自由貿易の利点を挙げ、多くの開港場を伴う通商開始の急務を説明した。

 堀田は非常に感銘を受け、ハリスの演述書を幕閣に、主として海防掛に回覧し、それに対する対応を諮問した。積極的にハリスの要求を許容し、諸侯に教え諭すことを主張した大目付・目付グループと、諸侯に諮ったのちに、諾否を決定すべきと説く勘定奉行・勘定吟味役グループの対立が、ここでも見られた。

 諮問に対し、大目付・目付グループの中心人物である、岩瀬忠震の老中宛の意見書(11月6日)は、横浜開港論が提示されており、ずば抜けて優れたものであった。岩瀬は江戸・横浜経済圏を確立し、大坂集中の経済機構の打破を目指し、幕府が貿易の富を独占することによって、まずは率先して武備充実を図ろうとする、富国強兵策の具体的なビジョンの一環として打ち出したのだ。