“平等な入試”の前に隠された不公平
岡邊:さて、ほかにはどんな議論がありました?
しゅんすけ:ゆうだい君がDiscordに書いてた平等と公平についてが、僕は面白いなと思って。
例えば受験とかで点数が客観的に付けられて、点数が一定基準を超えた人は合格、超えなかった人は不合格って、形式的にはすごい平等だと思うんですけど、この授業で、教育社会学の知識を学んだことによって、形式的平等の裏には、そこに到達するまでのさまざまな不公平が隠されてるっていうことが分かって。
努力でさえもそういうことがあるっていうのが分かったのが、すごい有意義だったなって思います。
けんた:入学試験の平等っていうところで、女子枠を京大で導入するってなった時に「逆に男子を差別してるんじゃないのか」「受験は性別関係なく、平等なんじゃないのか」みたいな意見もあったと思うんです。
でも、受験を受ける前の段階で、やっぱり女性は不利を被っているのが、事実。「男子差別なんじゃないのか」っていう意見の中には、女子のそういう現状を知らず、「男女は平等だ」という思い込みから来てるのも、一定数は存在すると思う。
やっぱり人々が、そういう現状を知らないと、格差を埋めるための政策方針が受け入れられづらい。アファーマティブ・アクションが差別だと捉えられてしまうと思いました。
ジェンダーを知ることは日常生活に役立つ
ひろと:ジェンダーは、大人が知っておかないと、子どもにも植え付けてしまうのにつながっちゃうなと思ったので、大切。
お題Bにつながるんですけど、自分の思い込みとか偏見とかが思ったよりあって…。子どもに教育していく際、大人がそれを子どもに植え付けてしまうようなことが起こってしまい得るので、こういう(ジェンダーに関する)データとかを知っていれば、「自分の思ってたのと違うんだな」って気づけて、活用できるんじゃないかなって思いました。
岡邊:将来、子どもを持った時の話ですね。あるいは、もっと広く考えてもいいんじゃないですかね。
例えば職場での同僚、後輩との関係の中で、ジェンダーの問題で、さまざまな情報を知ってることによって、物事が解決する、あるいは円滑な人間関係が促進されるみたいなことって、きっとあると思うんだよね。
皆さんの普段の日常生活、友人関係みたいなことも含めてあるかもしれない。