「高校までの自分の視野は本当に狭かった」

【授業後レポート(本授業全体の振り返り)】

女性:これまで当たり前に思っていたことを疑うようになった。特に隠れたカリキュラムについては衝撃的で、学校生活で当たり前におもっていたことがそうではないことを実感した。

 一方で、隠れたカリキュラムによって、社会全体がこれだけ影響を受けるならば、逆に、学校教育を変えることが有効な手段であると考えることもでき、学校教育によって未来を良い方向に進めることができると希望が持てた。

女性:授業全体を通して、安易に想像がつくような教育格差から思いもよらなかった教育格差まで様々なものを学び、高校までの自分の視野は本当に狭かったのだなと感じた。

 地方に学校や塾を増やす、などといった対策はすぐに実現できるものではないが、インターネットやSNSが発達した今の時代だからこそ、情報格差は埋めやすいと思う。

男性:長い間高校を受験のための場所として使ってきた(通ってきた)自分にとっては、いかに自分が特異な状況下におかれ、恵まれた環境に身を置いていたか、改めて気づかされた。

 京都大学に進学する人のほとんどは恵まれた環境で育ってきた人であるはずのため、その観点からも京都大学で教育社会学を学ぶことは、存在する格差から目を背けて、努力主義だけで結果を決めつけるという風潮を断ち切るのに、効果的だと感じた。

「努力できる」環境にいることに気づいた

女性:私自身、生まれにかかわらず努力すれば良いと思っていた節があったので、「努力格差」の概念を知り、自分の偏見に気づかされた。

 私が偏見を持っていた理由は、高校・大学と進学していく中で、似たようなSESの人としか関わる機会がなかったからだと思う。トラッキングによる学校間のSES格差や非行少年の話などから、自分の見てきた世界がいかに偏ったものであったかを実感することができた。

女性:今までは、勉強のやる気がないことや学校生活に積極的でないことは個人の性質によるものと思っていたが、育った環境や周囲にいる大人の影響も大きいのだと知った。

 しかも、SESの違いは、単に経済的な問題にとどまらず、子供が得られる文化的な経験にも響いていることが分かった。

 様々なことを学んだ今、かえって自分と異なる他者に対してラベリングをしてしまわないように気を付けなければならないと思う。安易に「こういう環境で育ったから~なのだ」と考えるだけでは、今までの自分の思考と変わらなくなってしまう。