数学のようには答えが出ない「格差の解決策」

岡邊:さて、皆さんは、もともとこの授業を、シラバスの情報で受講してくれたはずなんだけど、授業を受ける前と受けたあとの今日の時点で、「教育格差」という語の受け止め方に、違いはありますか? 

ゆうだい:自分の班で話があったんですけど、自分は、教育格差を知りたいなと思ったのと同時に、「こういう解決策がある」というのを知れるんじゃないかなって思って、参加したんです。

 でも、教科書のどの章も、いろんな二項対立があって、たとえば、いじめを受けた側に対するサポートを考えると、今度はいじめをしちゃった側に対してサポートが薄いんじゃないかっていう…。

 どの問題でも、簡単に解決策は出ないっていうのを自分は感じて…。

 自分は教育学部ですが、たぶんどの研究テーマでも、数学みたいに答えがパンって出るようなものは、ひとつもない。どこをどう調べたとしても、いろんな要素が絡まってて、それをひとつひとつ分けていきながら多角的に考えるのが、研究に必要な姿勢なのだと、この授業で自分は学べたんじゃないか。

許容してよい格差、してはならない格差がある

しゅんすけ:格差っていう言葉は曖昧すぎて、じゃあ「何が格差で、何が格差じゃないのか」、「この問題は格差なのか」とか、そういう話になる。

 教育社会学の知見を用いて、社会の構造を分析することで、ある程度、問題意識だったり、観察の視点だったりを明確化できると思うので、そういう意味で、この教科書と授業は役に立つと思いました。

岡邊:一言付け加えると、格差にも許容できるもの、できないもの、あるいは許容しても良い格差、してはならない格差って、あると思ってて、ここは万人が一致してるわけじゃないです。

 つまり、問題意識の持ち方によって、あるいは前提の置き方によって、このあたりは変わってきます。多くの人が「こういう格差はなくしたほうがいいね」っていうの、あるかもしれませんが、そうじゃない格差も、教科書の中では紹介されていたと思います。

 その場合、議論は分かれるんだけども、じゃあ「どういう議論の分かれ方があるか」っていうのが、この授業でやった中身だったと思ってください。