繰り返される移民に対するヘイト

 人々の生活に関する不満がくすぶる中で、去年8月、米国で有効な運転免許を有していなかったハイチ系住民がスクールバスと衝突する事故を起こし、11歳の男児が犠牲になった。バンス氏はあろうことか、ペット発言に加えこの少年が「ハイチ人に殺害された」という嘘まで流した。

 このことには少年の父親が、男児は事故死したのであり殺人に遭ったのではないとして「息子の名前を政治利用するな」と、バンス氏およびトランプ氏を名指しで糾弾している*4

*4Father of Ohio boy, 11, tells Trump and Vance to stop using son’s death for ‘political gain’(The Guardian)

 父親は同じ声明で、息子が60歳の白人の男に殺害されたのであれば、ヘイトをまき散らす連中に付きまとわれることもなかっただろうとも発言した。白人至上主義者らは、断腸の思いでこのような発言をせざるを得なかったであろうこの父親を「処刑すべきだ」などと過激発言も行なっている。

 トランプ氏の移民蔑視発言の危険性は、個人的な恐怖体験として記しておきたい。コロナ禍で人々の不安が頂点に達していた2020年から今年に入っても、トランプ氏は繰り返し新型コロナウイルスを「チャイナ・ウイルス」と連呼してきた。

 ホワイトハウスでは会見で、コロナを中国と結びつけることがアジア系住民への苛烈な蔑視につながるのではと当時大統領だったトランプ氏に直接食い下がる記者がいたが、英国では当初、この疑問を官邸の定例会見でぶつけたメディアはほぼ皆無だった。

 米国でもアジア系住民に対する嫌がらせや暴力行為、殺人まで起きたが、普段は観光客で賑わうロンドン中心部の繁華街では2020年2月、シンガポール人留学生が「お前のコロナを俺の国に持ち込むな」などと侮辱された上に暴行を受け、顔などに大怪我を負った*5

*5Coronavirus: Student from Singapore hurt in Oxford Street attack(BBC)

 街中で直接「英国から出ていけ!」と凄まれた日本人の友人らもおり、筆者は当時在英15年にして、初めてアジア人として英国に暮らす恐怖を感じた。短時間の外出の際も、感染よりも襲撃への不安の方が大きく、マスクと共にサングラスなしには外を歩けない有り様であった。

 現在スプリングフィールドに暮らすハイチ系の移民の人たちが、同じようにいわれのない罪をなすりつけられ、どんな恐怖を感じているのかは実感として理解できる。そして、それを助長しているトランプ氏およびバンス氏の罪は、断じて許しがたい。

 彼らが大統領選を制すれば、例えば今後日本との貿易摩擦などが生じた場合、駐在員などを含む在米邦人さえ、こうしたヘイト手法の標的にならないという保証はどこにもない。

 移民排除をネタにしたデマは人命を奪いかねない、卑劣で悪質な行為だ。仮にこうした妄言のおかげで今後死傷者などが出た場合、両者の行為は殺人幇助に匹敵すると考えても良いだろう。到底、正副大統領にふさわしい器とは思えない。

楠 佳那子(くすのき・かなこ)
フリー・テレビディレクター。東京出身、旧西ベルリン育ち。いまだに東西国境検問所「チェックポイント・チャーリー」での車両検査の記憶が残る。国際基督教大学在学中より米CNN東京支局でのインターンを経て、テレビ制作の現場に携わる。国際映像通信社・英WTN、米ABCニュース東京支局員、英国放送協会・BBC東京支局プロデューサーなどを経て、英シェフィールド大学・大学院新聞ジャーナリズム学科修了後の2006年からテレビ東京・ロンドン支局ディレクター兼レポーターとして、主に「ワールドビジネスサテライト」の企画を欧州地域などで担当。2013年からフリーに。