「3・11」から続く被災地への思い

 練習拠点のリンクを失い、避難所生活も余儀なくされた。そんな環境を言い訳にすることはなかった。各地を回ったアイスショーの前後で、会場のリンクでシーズンに向けたプログラムを必死に滑った。逆境を跳ね返す力を培っていた当時の羽生さんには、大きな目標が芽生えていた。夢だった五輪2連覇の先の未来図だ。

「僕自身、(五輪で)金メダルを2個取りたいという気持ちの中の1つの大きな目的として、2連覇したところから被災地への支援や思いやりみたいなものをスタートしたいなという気持ちがあって、常に現役、競技を頑張ってきました。やっと自分がプロに転向して、徐々に、徐々に、被災地に心をはせることができるようになってきました」

「そういった中でも、自分はやはり、スケーターであるということが一番なので、演技を通じて、(被災地の)皆さんに対する支援や、感情に対する少しの一助になれないかなと思っています。『3・11』もそうですし、その時々で起こっているいろんな災害に対してもそうです。今回は、能登地方の震災に対してのチャリティーということでやらせていただきました」

 日本だけではなく、世界が「羽生結弦」の名前を知っている。抜群の知名度を持つ自分だからこそ、できることがある。羽生さんはそう信じて、能登のために滑り、被災地の人たちに希望を届けた。自分を応援してくれる人たちの力も借りて、被災地へ必要なお金を少しでも多く送りたかった。

 プロとして自らを高めてきた羽生さんが、被災地の人たちのために精魂を込め、本気のプログラムを滑った。だからこそ、スポットライトの力なんて借りなくても、とっておきの輝きを解き放つことができたのだろう。

>>【前編】「被災者の近くで滑りたい」羽生結弦さんが能登でチャリティー演技会、石川県からのネット配信にこだわった理由

田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授
1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。