「性教育を男女別に行う」そこに潜む“隠れたカリキュラム”
けんた:グループでのディスカッションで、性教育を男女に分けるのはどうか、という意見が…。保健体育の授業って、結構、男女で分けてやってるところも多かったと思うんですけど、そうして分けてしまうと、微妙な空気にならずに済むみたいな感じでやってるかもしれないですけど。
でも、男子の中での性知識に関する共通認識と、女子の中での性知識に対する共通認識に、微妙な違いが出てしまうんじゃないかなって、ちょっと心配があって。やっぱり性知識は、絶対に認識の違いってあっちゃいけないところだと思っていて、そこは多少、男子とか女子とかの中で、恥ずかしく思う人がいたとしても、やっぱり混ぜてやったほうがいいんじゃないかと。
岡邊:性教育、そして体育の授業など、男女で分かれること、ありますね。分かれることに合理的な説明ができるかどうかっていうことだね。
ももか:性教育の話についてですけど、男女を分けて教えることで、確かにちょっと恥ずかしくて勉強しにくいかもっていう生徒への配慮はできるかもしれませんけど、性知識とかの話をするのは、男女別であるとか、異性間で話すことではない、みたいなことが、「隠れたカリキュラム」になってしまう恐れがあると思うし、実際にそれがもう、結構広がってしまっていると思います。
岡邊:「性の話題は、男女混ざって話すべきじゃないんだ」っていうメッセージが、伝わるっていうことですね?
ももか:はい。
岡邊:これは大いにありそうですね。まさに「隠れたカリキュラム」。性教育の世界的なスタンダードでは、原則、男女一緒です。男女を分けるのは、けっしてスタンダードではありません。
さて、学校の先生は、じゃあ、どういう対応がいいのかみたいな話。先生がやるべきこと、できること、話した班があれば、ちょっと教えてほしい。どうですか?
けんた:やっぱり、女性が大学に行かないような方向に、無意識的にも誘導させられるっていうことを、まず認識した上で、女性が教育の場で男性とは違う扱いを受けたり、格差があったりすることを頭に入れた上で…。
男子か女子かで、例えば配慮が必要なところは、しっかり配慮すべきですけど、配慮が必要じゃないなっていうところで、むやみに分けたりすべきでないと思います。
岡邊:今、けんたさんが言ってくれたのは、進路指導の場面で、男女で違う取り扱いが、往々にして起きるって話ですね。