地方進学校の「地元国立大志向」が教育格差を生み出す

 第2講について、最後に少し補足する。

 まず、連載第3回で紹介したが、少なくとも数名の学生が「受験指導」に重きを置きすぎる進路指導に批判的なまなざしを向けていた。これは、進学校の教員にとっては、耳の痛い指摘かもしれない。

 学校のカルチャーはそう簡単には変えがたいだろうが、結果的に、生徒の希望する進路の実現を妨げてしまっている実態があるのだとすれば、改善が望まれよう。

 特に地方のトップ進学校にありがちだが、地元や近隣県の国公立大学への進学を、さしたる根拠もなく称揚することは、結果として「生まれ」による格差を生み出すことにつながる(たとえば都会の私大に通っていれば、異なるライフコースがあり得たかもしれないのに)。

 その意味で、進学校の教員であっても、教育格差の実態を学ぶ意義は大いにあると思われる。

金銭面以外のメリットにも留意が必要

 次に、私的内部収益率について。この概念は、教育の価値を貨幣換算するので、その意味で、教育関係者のなかには抵抗感を持つ方が多いと予想する。

 もちろん大学進学には、金銭面以外のメリットもある。逆に、たとえば勉強が苦痛な人なら、大学進学は精神面でのデメリットを生じさせ得る。収益率は、非金銭的なメリットやデメリットが一切無視された概念であることには、留意が必要だ。

 本授業の受講生を含めて、京大生の大多数は「大学進学が当然」という環境のなかで育ってきた。そんな彼らにとって、お題(B)は少々難しかったかもしれない。

 ただ、世の中には、収益率の値が進路選択の重要な材料になる層が、たしかに存在する。大学進学について逡巡するこうした人々の存在を知ること自体が、京大生には貴重な気づきをもたらしたのではないかと思う。

(第5回につづく)