進路指導への違和感は、東大生にも共通

 連載第2回で説明した日本の高校のトラッキング構造を前提にすれば、平均的にいって京大生は、社会経済的地位(Socioeconomic status、親の職業・学歴・収入などで構成される、以下SESと略記)の高い家庭の子どもが多くを占める高校で、3年間を過ごしてきたといえる。そしてそのような高校では、実際にほぼ全員が、大学に進学する。

 本授業を受講した15名の新入生、それにティーチング・アシスタント(TA)の大学院生についても、全員「大学進学が当たり前」の高校生活を送ってきたことが、確認できた。ただ、授業でのやりとりを聞く限り、学校ないしは高校教員から受けた進路指導に関する印象には、かなりばらつきがあった。

 ゆうだい、あやね、しおりのように、生徒の希望進路の実現のために奮闘する教員に、感謝の念を抱く学生もいた。母親が浪人リスクを考えて京大の受験に反対するなかで、教員が自分の見方をしてくれたというあやねのエピソードは、とりわけ印象的だ。

 なお、一般に保護者は、子どもが女性の場合、男性よりも浪人を忌避する意識を持ちがちだ(ジェンダー関連の話題は、本連載の後半で集中的にとりあげる予定)。

 一方で、りゅうのすけ、あんな、ちなつのように、特定の大学に生徒を送り込むことを重視する進路指導に、違和感を隠さない学生もいた。

 大学のネームバリューの高さだけに惹きつけられて受験勉強を続ければ、仮に合格を果たしても、入学後に不適応を起こすことになりかねない。

 京都大学の学生相談ウェブサイトの「学生さんへ」のメッセージの最初の項が、「入学後の進路変更について」になっているのは、象徴的だ。入学後に進路変更を考える学生は、けっして珍しくないのである。

 なお、本授業と同じコンセプトで開講された東大の授業の様子を収録した『東大生、教育格差を学ぶ』のなかでも、同じエリアの国公立大学への進学を望んだり、私大への進学を否定的に捉えたりする高校の風潮が、赤裸々に紹介されている(同書第2講)。特に地方の公立高校には、このような傾向が根強く残っていると聞く。 

『東大生、教育格差を学ぶ』東大生、教育格差を学ぶ

 つまり、SESの高い層の学生であっても、場合によっては、性別や出身地域などの「生まれ」によって、希望する進路の実現が妨げられてしまうということだ。

 さらにいえば、学校や家庭での過度な受験プレッシャーによって「つぶされる」子どもたちも、ある意味では、社会の格差構造の被害者といえるのかもしれない。

(第4回につづく)