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トレードマークの笑顔の裏に闘志を漲らせる(以下、写真はすべて筆者撮影)トレードマークの笑顔の裏に闘志を漲らせる(以下、写真はすべて筆者撮影)

(文:曽我太一)

パリ・オリンピックで金メダルの有力候補とされる日本人選手の一人が、女子やり投げ世界王者北口榛花だ。指導者を求めてチェコの地方都市に移住し、五輪に向けてひたすら練習の日々を送る北口を、地元旭川で競技を始めた高校時代から知るジャーナリストが訪ねた。

※北口選手の出場する陸上競技女子やり投げは、予選:日本時間8月7日17:25から、決勝:8月11日2:30から

 5月下旬、女子やり投げで世界の頂点に立つ北口榛花(26歳)の姿は、チェコの片田舎にあった。

「オリンピックでは、『金メダルが獲れたらいいな』くらいにしか思っていないです。獲りたいと思って獲れるものでもない。もちろん試合になったら『獲りたい』という気持ちになるので、そこまでの過程はある程度、余裕を持って『獲りたいな』くらいの気持ちで行きたいです」

 北口の名前を世界に知らしめたのは、去年(2023年)8月にハンガリーのブダペストで行われた世界陸上選手権だった。自身の最終投擲をメダル圏外で迎えた北口は助走路に立ち、手拍子で会場全体を巻き込んだ。持ち前の柔軟性を生かし大きくしなった腕から放たれたやりは、65メートルの白線を超えた。会場の掲示板が66メートル73を示すと、北口は日本人女子選手として同種目で初の金メダルを確定させ、喜びを大爆発させた。9月のダイヤモンドリーグの最終戦でも金メダルを獲得し、文字通り世界の頂点に立った。

 オリンピックイヤーが始まってからも、昨年からの好調を維持。7月20日時点で、今シーズンは8大会に出場し、6大会で優勝、パリ・オリンピックでの金メダルも視野に入れる。その北口が、5月に筆者に語ったのが冒頭の言葉だ。謙虚な言葉に聞こえるかもしれないが、北口の自然体は高校時代から変わらない。

高校2年、やり投げで全国優勝

 北口に初めて会ったのは、2014年。筆者がNHKの記者として北海道旭川市で勤務していた頃で、北口はまだ高校2年生だった。

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 高校1年の時にやり投げを始めた北口は、水泳とバドミントンで鍛えた肩周りや上半身の柔軟性と、179センチという長身を生かし、一気に高校やり投げ界のスターダムを駆け上がった。衝撃だったのは高校2年のインターハイ。通常は10歩ほどの助走を行うところ、助走が苦手だった北口は極端に短縮し、走路のほぼ真ん中から5歩の助走でやりを投げ、全国優勝を果たした。3年時には世界ユースでも優勝、インターハイも2連覇を果たした。

 ユニークなのは競技を始めたいきさつだ。地元の進学校・旭川東に入学した当初は、水泳に打ち込むはずだったが、その恵まれた体格に目をつけた陸上部の顧問が北口に声をかけ、「掛け持ちで良いから」とやり投げを勧めたのがきっかけだった。最初は水泳を優先し、「最後まで陸上部の練習にいたことはなかった」と話すが、記録が向上するにつれて、やり投げを本格化させた。

 北口が現在、練習拠点としているのは、チェコの首都プラハから列車で南西へ3時間ほどのところにあるドマジュリツェだ。人口は1万人程度と、出身地の旭川(約32万人)よりも遥かに小さい。チェコといえばビールで、この町の地ビールも美味いが、お世辞にも都会とは言えない。

ドマジュリツェの中心部ドマジュリツェの中心部

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