「やっぱり周りの人は、『(金メダル)獲るだろう』みたいな感じですよね。『そんな簡単じゃないから』って私は思っていますよ。今までこんなに陸上のやり投げという種目を応援してくれる人は多くなかったと思うので、見てくれる人が増えるというのはすごく嬉しいですけど、メダルは簡単じゃないです」
北口にはオリンピックにまつわる苦い思い出がある。2016年のリオ五輪前、大学生になってさっそく日本歴代2位となる記録を叩き出した北口は、五輪出場も目指せる位置にいた。しかし、焦りによる無理が祟って故障を抱えることになり、出場を逃した。華々しく行われたオリンピックは地元の旭川で観戦した。
当時のインタビューでは、「ひとりで練習していて寂しい気持ちもあるけど、自由にできるんだから、こういう時に自分の足りないところを強化しなきゃと思っている」と話し、将来を見据えてひとり、旭川にある小さな陸上競技場で黙々とトレーニングに励んだ。
それから5年後、新型コロナウイルスの影響により1年遅れで迎えた2021年の東京オリンピック。念願の初出場を果たし、日本人として57年ぶりに女子やり投げの決勝に残った。競技場では、トレードマークとも言える「笑顔」を浮かべていたように見えたが、実は北口本人はいつもとは違う自分を感じていた。
結果は、前半3本の投擲で自己ベストに遠く及ばない53メートルから55メートル台の記録で、トップ8(前半の3投で上位8人が後半の3投に進む)に残れず、12位で大会を終え、悔し涙を浮かべた。
直前に迫ったパリ大会について、「とりあえず健康に元気に、『空笑い』じゃなく、自然に笑ってオリンピックを終えたいなと思います。東京では予選が終わってから決勝まで、元気を振りまきまくっていたので。そうではなく、オリンピック全体を通して元気に終えたい 」と話す。
柔らかさの奥に秘めた闘志
「自然体」を貫くように見える北口だが、実はその心の奥底には大きな闘志を秘めている。高校3年時のインターハイ。前年王者として、さらに直前の世界ユースで優勝した世界王者として臨んだ大会で、北口は高校記録の更新を狙った。結果的には優勝し2連覇を成し遂げたが、高校記録を更新できず、目には涙を浮かべた。当時の北口の指導者ですら、「他の選手に失礼だ……」と漏らしたほどだが、普段の笑顔や柔らかい言葉づかいの裏に確固たる決意があるのを感じた。
「この先も頑張ればあと2回ぐらいはオリンピックには出られそうですけど、年齢的にメダルを目指せるオリンピックというのはあまりないと思うので、それなりに意識して臨みます。(チェコのバルボラ・)シュポタコバ選手が72メートルを投げた年が28歳(※筆者注:現在の女子やり投げ世界記録、実際には27歳)なので、そこには自分もある程度近づきたいなという気持ちもあるので、その辺を少し意識しながら、でも自分のペースは乱さないようにやろうと思っています」
北口は高校時代から、“ふんわり”した言葉の中に明確な目標を掲げ続け、それを一つ一つ実現するための努力を重ねてきた。涙のインターハイの後には日本ジュニア選手権で目標としていた高校新記録を打ち立てた。リオを目指した失敗の後には東京でオリンピック出場を実現し、決勝に進出した。去年9月には67メートル38という前人未到の日本記録も打ち立てた。
女子やり投げの世界王者として、パリ・オリンピックに自然体で臨む北口の言葉には、着実な歩みと努力を重ねてきたからこその自信が込められている。
曽我太一
(そがたいち) エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。
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