おわりに

「戦争は始めるより終わらせる方が難しい」という言葉がある。

 1904年に日露戦争が始まったとき、日本の為政者には終戦の絵図も念頭に入っていた。

 開戦が決まった直後、前司法大臣の金子堅太郎を米国に派遣した。金子はハーバード大学に留学したとき、米大統領セオドア・ルーズベルトと同窓であり、そのとき以来、金子とルーズベルトは親友であった。

 この目論見は成功した。ロシアはルーズベルトの斡旋に応じ、両国は1905年にポーツマス条約を結んで講和した。

 一方、戦争の終結のことを考えずに太平洋戦争に突入した日本は、敗戦の色が濃くなった戦争末期に、ソ連が、対日参戦を密約(ヤルタ協定1945年2月)したにもかかわらず、ソ連の仲介による和平工作を1945年6月8日の御前会議で正式に決定した。

 案の定、和平工作は上手くいかず、無条件降伏を受諾することとなった。

 まず、我々日本人は、先人が残したこの2つの歴史を拳拳服膺(けんけんふくよう)すべきであろう。

 さて、前項で筆者の個人的な見通しを述べたロシア・ウクライナ和平交渉の見通しであるが、実際には双方の間には非常に大きな隔たりがある。

 ウクライナが戦場で大勝ちするか、あるいは側近のクーデターによりプーチン氏が失脚するしか、両者が和平交渉のテーブルに着くのは難しいと思われる。

 ところで、クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で次のように述べている。

「敵の戦闘力を壊滅することなく、戦争の成否についての敵の推測に影響を及ぼしうる独特の手段がある。それは、ほかでもない。直接に政治と結びついた工作である」

「例えば、敵の同盟者を離間させたり、無力化させたり、自国のために新しい同盟者をつくったり、自国に有利な政治的情勢をつくりだすなど、さまざまの工作を行なうことができる」

「こうした工作が、戦争の成功についての確信を高め、戦争目的実現にとって、敵の戦闘力の壊滅という方法よりも、いっそう近道である場合があることは、容易に理解できるところである」

 上記のクラウゼヴィッツの主張を、ウクライナ戦争に当てはめれば、戦争目的実現にとって、中国とロシアを離間させることの方が、ロシア軍を殲滅するより近道であると言うことであろう。

 しかし、中ロを離間させることは困難である。

 現実にできることは、対ロ制裁の「抜け穴」となっている中国によるロシア支援を停止させることであろう。

 G7は2024年6月14日に首脳宣言を採択し、ロシアの継戦能力を支える中国への制裁強化に踏み込んだ。

 ロシアとの軍事転用可能な技術・部品の取引に関与すれば、中国の金融機関をG7の金融ネットワークから締め出すと警告した。

 今、西側諸国がなすべきことは、対ロ制裁の「抜け穴」となっている中国によるロシア支援を本気で停止させることであろう。