「わたしたちはどのような社会を生きたいのか」 13
出身家庭のSESの地域間偏在と都道府県による高校教育制度の違いという実態を踏まえると、本稿のテーマである東京の難関大の学生構成均質化に対する万能薬のような政策は見つかりそうもない。
すぐにできることは、中編で論じたように、入試と奨学金におけるアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)の拡充だろう14。国、自治体、大学だけではなく、米国のように企業や個人の寄付による非大卒枠、地方枠、女性枠の奨学金の設立・拡充にも期待したい。
また、学部教育の4年間と比べると短くなるが、国内留学・大学間の単位互換の実質的な拡充も有力な施策かもしれない15。
制度はあっても利用者が少なければ意味はないので、数を増やすために、文科省や自治体にも支援できることがあるはずだ。特に円安で経済的な制約が強くなっている海外留学に比べれば、学生が地元を離れて半年や一年学ぶことは(支援があれば)現実的といえる。
最後に、国、自治体、大学といった単位ではなく、個人にできることを考えたい。一つは、社会全体を捉えたデータに基づいた議論をすることだ。
図にあるように出身都道府県によって高校教育制度と大学進学率は異なる。自身の経験「だけ」を参照すると、社会全体を対象とする議論としては的外れになり得る。議論の根拠が何なのか意識的になることで、建設的な対話が可能になるはずだ。
残念ながら、拙編著『教育論の新常識』(松岡編2021)で複数の論者が具体例を挙げているように、日本の教育政策の議論はかなり雑な思いつきが多い。データで全体の現状を把握せず、個人の視界に入る限られたエピソードと思い込みに基づいて声高に「改革」を主張する例が後を絶たない。
社会全体として一人でも多くの子どもたちが自身の可能性を追求できる環境整備のために、具体的にデータに基づいて議論する論者や行政を支援していただきたい。
自分の経験の偏りに自覚的になれば、議論だけではなくて個人として取り得る行動も見えてくる。
大学生であれば在学中に全都道府県出身者と知り合いになってみてはどうだろうか。通っている大学の中で見つからない出身地の人がいるのであれば、キャンパスの外で探せばいい。
成長過程で出身家庭のSES、出身地域、性別によって社会の一部しか知らないことは本人の責任ではない。ただ、「偏り」の中に留まり続けるのか、多様な世界を楽しむかは、一人ひとりのこれからの選択にかかっている。
13 拙著『教育格差(ちくま新書)』(松岡2019)の第7章の章題。
14 学生構成の基準は出身家庭のSES、出身地域、性別だけではなく、国籍、第一言語、障がいなども重要といえる。
15 地域格差をテーマとしているので言及できていないが、米国の大学では留学生や人種などを学生構成の基準としている。海外留学と海外からの受け入れを拡大することは多様性に寄与する施策といえるが、中編の注釈に付記したように、留学生の出身家庭が高SES層に偏っている可能性には留意したい。
■書誌情報
- 松岡亮二(2019)『教育格差:階層・地域・学歴(ちくま新書)』筑摩書房.
- 松岡亮二(編著)(2021)『教育論の新常識:格差・学力・政策・未来(中公新書ラクレ)』中央公論新社.
- 中村高康・松岡亮二(編著)(2021)『現場で使える教育社会学:教職のための「教育格差」入門』ミネルヴァ書房.