農民デモが右翼政党に追い風?

 元々農村では、前のメルケル政権や緑の党のリベラルな政策に対する批判が強かった。アンゲラ・メルケル前首相はキリスト教民主同盟(CDU)に属していたが、その政策は緑の党に近かった。寛容な難民政策や、脱原子力政策、女性の社会進出を促進する政策はその例である。

 私は2015年9月に、当時のメルケル政権がシリアからの約100万人の難民たちに対し、ドイツでの亡命申請を特別に許可した直後に、ミュンヘンから約100キロ北東のメッテンハイムという村で、バイエルン州政府が農民たちのために開いた説明会に出席したことがある。マイクを握った農民たちが、「難民の増加によって、治安が悪化した」「憲法が認める亡命申請権を廃止するべきだ」と発言すると、会場のレストランを埋めた聴衆たちからは、万雷の拍手が沸き起こった。バイエルン州政府の代表たちが、返答に窮する場面もあった。農民たちの間では、メルケル氏の難民に寛容な政策が不評であることがはっきり表れていた。

 この2年後の2017年の連邦議会選挙では、AfDがこうした市民の不満を追い風として、初めて連邦議会に議席を獲得した。

2015年9月にミュンヘン郊外のメッテンハイムで開かれた難民問題に関する説明会。当時のメルケル政権のリベラルな難民政策に対する批判の声が強かった(筆者撮影)2015年9月にミュンヘン郊外のメッテンハイムで開かれた難民問題に関する説明会。当時のメルケル政権のリベラルな難民政策に対する批判の声が強かった(筆者撮影)

 今年はドイツで、重要な選挙が目白押しだ。6月には欧州議会選挙が実施されるほか、9月にはザクセン州、テューリンゲン州、ブランデンブルク州で州議会選挙が行われる。世論調査によると、AfDの支持率はキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に次いで第二位だ。これに対し連立与党の支持率は一年前に比べて大幅に下落している。たとえばアレンスバッハ人口動態研究所の世論調査によると、2022年12月にはSPDの支持率は22%だったが去年12月には17%に5ポイント減少。緑の党も同時期に支持率を18%から15%、FDPも7.5%から5%に減らした。

 ザクセン州などの三州の大半では、AfDが首位を占めており、9月の州議会選挙で勝利する可能性が強まっている。去年は旧東ドイツの一部の地方自治体で、AfDの党員が初めて郡長や市長に当選した。AfDは地方自治体で着々と外堀を埋めつつある。旧東ドイツでは、AfDの政治的影響力が無視できなくなっているのだ。

 ナチスドイツが約600万人のユダヤ人を虐殺したという事実に対する反省から、1990年代にはあまり公に口にできなかった「右翼政党への投票」が、一部の市民の間では、もはやタブーではなくなりつつある。しかもメディアやリベラル勢力は、AfDの伸長をどう防ぐかについて、有効な対策を提示していない。「フランスやオランダ、イタリアでも右翼政党が勢力を伸ばしているのだから、この流れには逆らえない」という諦めきったような論調すら見られる。今回の未曽有の農民一揆が、ドイツ社会で進みつつある右傾化に拍車をかけることが懸念される。

熊谷徹
(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。

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