裏切り者に吉田がとった行動とは?
1951年、吉田はついに、戦争状態を終結させる「サンフランシスコ講和条約」の締結を実現させました。激動の戦後を駆け抜けて大出世した吉田でしたが、つらかった時期を忘れたことはありませんでした。
戦争の裁判で、ある刑務所長がアメリカの捕虜を焼死させたとして、死刑の宣告を受けたことがありました。その名前を見て、吉田ははっとします。吉田が刑務所に入っていたとき、空襲から自分を助けてくれた、あの刑務所長だったからです。
吉田はGHQに「なんとか命だけは救ってもらえないか」と頼み込んで、無期懲役にまで軽減させることができました。どん底の時期に一時でも助けてくれた人への恩を忘れなかったのです。
また、戦後は意外な人間が、吉田のもとを訪れました。書生として吉田宅に入り込んできたスパイの男性が、謝罪に来たのです。
「その節は、大変申し訳ないことをしました。上官の命令で、仕方なく閣下の身辺をスパイしました。お許しください」
男性はその場にひれ伏して謝罪すると、吉田はあっさりこう言いました。
「上官の命令に従うのは当然で、何も謝ることはない」
そしてスパイが目的だろうと、彼が懸命に働いてくれたことは事実と考えた吉田は、彼の就職の世話までしています。その紹介状には、こう書かれていました。
「勤務ぶり極めて良好なり」
人生に絶望してしまいそうなときも、吉田は世話になった人への恩義を忘れずに、前を向き続けました。そんな「逆境力」があったからこそ、吉田は戦後の日本におけるむずかしい場面を何度も切り抜けられたのでしょう。
・諦めずに信念を持ち続けよう
・どんなときでも恩義を忘れない
・裏切られても「人間力」で相手を許す