『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第4回「五節の舞姫」では、まひろは三郎に、これまで隠していた自身の素性を打ち明けた。花山天皇が即位すると、まひろは五節の舞を披露する舞姫に選ばれる。そこで驚愕の事実を知ることになり……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
雑多な大衆芸能として広まった「散楽」とは?
第4回「五節の舞姫」は、吉高由里子演じるまひろ(紫式部)が、柄本佑演じる三郎(藤原道長)と再会を果たすシーンからスタートする。まひろが自分の素性を初めて三郎に明かすという重要な回となった。
2人を引き合わせたのが「散楽」(さんがく)である。三郎が平安京の市中で行われている散楽を観に出かけたのが、まひろと再会を果たすきっかけとなった。その後も、散楽の鑑賞を理由にして、2人は落ち合おうとする。
この「散楽」とは一体、どんな芸能なのか。「散楽」の「散」には「雑多な」という意味があることからもわかるように、物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、内容は多岐にわたる。もはや何でもありだが、共通しているのは「大衆的な見世物」であること。形式ばったものではなく、民衆が楽しめる娯楽として、愛された芸能といってよいだろう。
そんな散楽は、奈良時代に東アジア西域から日本に伝来したといわれている。伝来した当初は、宮中の「散楽戸」(さんがくこ)という組織で、雅楽とともに朝廷の保護下に置かれていた。しかし、平安初期の延暦元(782)年、桓武天皇の時代に散楽戸は廃止。以降、散楽師たちは、寺社や街角などでその芸を披露するようになる。
ドラマでは、熱気に満ちた散楽のパフォーマンスが印象的だ。その有り余るエネルギーは、国家の組織から外されて、大衆芸能として生き残っていくなかで醸成されたものということになろう。
散楽はやがて「猿楽」(さるがく・さるごう)の名で呼ばれるようになる。そして室町時代には、猿楽に歌や舞、そしてリズムを取り入れた「能」が、観阿弥・世阿弥親子によって大成していく。
もっとも平安時代の散楽が、ドラマのような形で行われたかどうかまではわかっていない。ドラマで芸能考証を担当した友吉鶴心氏は「オリジナルの芸能を作らせていただきました」とインタビューで話している。ドラマにあるように、風刺の強い内容だったかどうかも不明である。
とはいえ、一から考え出したフィクションというわけではなく、アクロバティックな動きひとつとっても、散楽が描かれた正倉院の絵図をもとにしたと、友吉氏はインタビューで話している。
今回の『光る君へ』は依拠すべき史料が少ない。とはいえ、オリジナルの部分も、何らかの根拠をもとにして創らなければ、リアリティに欠けてしまう。制限がないからこそ、時代にそぐわないものにならないように、どんな枠組みを設けるのか。そんな制作現場の苦労が、散楽の演出だけを見てもよく伝わってくる。