(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)
2021年10月の岸田文雄内閣発足から、すでに1年が経過しました。低支持率に苦しんだ前の菅義偉内閣と比べると、岸田内閣はこの7月までは、非常に支持率が高い状態が続きました。しかし、岸田内閣が具体的に何をやってきたかと聞かれても、答えに窮するというのが実際のところではないでしょうか。
一時は高支持率を誇った岸田内閣、明らかに人気に陰り
菅内閣では、河野太郎さんをワクチン担当大臣に据え、当時としては大胆かつ画期的なワクチン接種1日100万回という施策、あるいは携帯電話料金の引き下げ、少子化対策の一環としての不妊治療の保険適用、 デジタル庁の創設など、続けざまに具体的な政策を進めていました。それにも関わらず、支持率は低迷、菅首相は自民党総裁選への再出馬を断念せざるを得ない状況に追い込まれました。
その後を受けて首相になったのが「聞く力」をアピールした岸田文雄氏です。そのソフトなイメージが幸いしてか、岸田内閣は発足後よりじわじわと支持率を上げていきました。徐々に支持率が上昇するという珍しい現象に関して、6月に私は<「何もしていない」岸田内閣がなぜ高い支持率を維持できているのか>と題した論考をJBpressに書きました(参考:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70426)。
激しい動きが目立った菅内閣やその前の安倍内閣への反動、すなわち「動」の安倍・菅に対して、「静」の岸田が落ち着く、という要素もあったでしょう。そもそも、どうも日本人には、激しい改革を好まない傾向がある気がします。政権に対して「激しく改革を推し進めてほしい」とはあまり望まず、「徹底的にやらなくていい」「ほどほどでいい」「多くの人の意見を聞いて、ちょうどいい塩梅の落としどころをみつけてほしい」という感情を心のどこかで持っているようです。そこにピタリとはまったのが岸田内閣だったということなのではないでしょうか。
ところがその岸田内閣も、7月以降は支持率が急落しました。7月にあった参議院選投票日の直前に、安倍晋三元首相が銃撃され亡くなるという事件がありましたが、この事件の背景にあった旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への対応、そして亡くなった安倍元首相の「国葬」を決めた経緯に国民の反発が高まったのが、支持率下落の直接的な主な原因でしょう。
10月末には「下げ止まり」の傾向も出てきたと報じられていますが、かつて誇っていた高支持率にはとても及びません。息子を政務秘書官にする人事など、私から見れば、身内を政務の秘書官にする話はこれまでも良くある話ですが、今ややることなすこと、反発を買ってしまう雰囲気があります。はっきり言えば人気に陰りが見え始めているのです。