67歳から新たな人生がスタート
8月15日、ラジオの玉音放送で、ついに日本の降伏が国民に知らされました。吉田にとっては遅すぎる終戦です。この放送を吉田は国民と同様に、ラジオで聞いていました。
連合国軍の最高司令官であるダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのは、それから約2週間後のこと。アメリカによる占領政策が、いよいよ始まろうとしていました。
そんなとき、吉田のもとに、内閣書記官長から電話が入ります。
「車を差し向けますので、ともかくモーニングだけは持ってきてください」
実は、自分が外務大臣に選ばれるかもしれない、という情報は事前にキャッチしていました。しかし、ついこの間まで、捕らわれの身だった自分が大臣になるなど信じられず、何も準備をしていませんでした。
吉田が首相官邸に到着すると、モーニングに着替えさせられました。ところが、うっかり赤茶色の靴を履いてきてしまったため、吉田は職員から黒い靴を借りています。ばたばたのなかで、吉田は外相として初入閣をはたしました。
67歳にして、新たな人生のスタートを切った吉田。外相官邸から国会議事堂まで散歩するのが習慣になりました。
しかし、見渡す限りは、焼け野原です。いかに激しい戦争だったかを物語る風景を眺めながら、吉田は一緒に散歩する娘の和子に、こうつぶやきました。
「見ていてごらん。わが国は必ず立ち直るよ。今に必ず立派な国になって復興する」
この言葉を実現させるべく、時代は吉田をさらに表舞台へと引っ張り出します。1946年5月、吉田は内閣総理大臣に就任。その豪胆さで、マッカーサーと渡り合うことになるのでした。