(文:宇都宮浄人)
今年8月、栃木県宇都宮市に誕生したLRT(次世代型路面電車)「ライトライン」。国内の路面電車としては75年ぶりの開業で全国各地からの視察が殺到している。慢性的な交通渋滞の解消、高齢者や学生の移動手段確保、周辺地価の上昇、企業誘致とメリットも多く、これからのまちづくりにおける大きなヒントとなっている。
2023年8月、栃木県宇都宮市でLRT(Light Rail Transit、次世代型路面電車)が開業した(運営は宇都宮ライトレール株式会社)。「ライトライン」という愛称がついたLRTは、JR宇都宮駅から中心市街地とは反対の東側、芳賀町までの約15キロを結ぶ。隈研吾氏がデザインした東口交流拠点の広場横をゆったりと通り、これまで全くにぎわいのなかった駅東口、そしてその沿線の光景を大きく変えた。鉄軌道のなかった場所に一からLRTを新設する、日本初の試みである。以下、その経緯と概要、そしてその効果や今後の課題を追ってみよう。
ライトラインの経緯~紆余曲折の30年
宇都宮市は人口51万人、栃木県の県庁所在地である。街の発展とともに環状道路を整備したが、都市が無秩序にスプロール化し、一方で中心市街地は衰退した。宇都宮市のシンボルである二荒山神社の前の中心部には、かつては上野百貨店、福田屋といった地元資本の百貨店に東武、西武と百貨店が並んだが、今では東武百貨店以外は撤退し、アーケード街のオリオン通りもにぎわいを失った。
都市全体が車社会となる中で、新たに公共交通を導入するという議論が始まったきっかけは、市東部および隣接する芳賀町の工業団地に向かう道路渋滞である。途中に鬼怒川を渡る橋があり、交通量が特定の道路に集中したことがきっかけであるが、根本的な問題は2万人を超える人が自家用車で通勤することだ。
渋滞を避けるために、朝6時に家を出るという人も多く、また、何とか勤務先にたどりついても、駐車場から実際の職場までの移動にも時間がかかった。自家用車以外の人は会社による送迎バスを使ったが、出勤時と退勤時でそれぞれ片方向の輸送となる送迎バスを各会社が負担して走らせてきた。
そうした中で、宇都宮市は1990年代から、渋滞対策として新たな交通システムの検討を開始した。当初は、モノレールや「ゆりかもめ」のような新交通システムも考えられたが、90年代後半になると欧米で脚光を浴びていたLRTの導入という話になり、工業団地のある東部から、街の中心である駅の西側までを結ぶ計画が具体化した。LRTは、渋滞解消に加え、中心市街地を活性化するまちづくりのツールとして位置付けられた。
もっとも、開業までの道のりは紆余曲折があった。道路上を走ることでかえって渋滞を悪化させるという声がある中、LRTと競合することを嫌う既存のバス事業者、LRTを計画する与党に対抗する政治家、そして公的資金を使うことについてLRT沿線外の市民が、それぞれLRTの建設に反対したのである。当時、テレビインタビューを受けた「LRTに反対する会」の市民の一人は「一軒の家族に3台も4台もクルマがある生活を何十年もしてきているわけなんです」と語った。行政主導の「無駄な公共事業」に、市民が反対する構図は、メディアの格好の話題となり、本来のまちづくりという視点のないまま、LRTに賛成か反対かが議論の焦点となって計画は進まなかった。
ただし、バス事業者が、LRTは競合するのではなく、バスと補完しあうことで公共交通全体が便利になるという観点からLRTに理解を示すようになると、流れは変わった。2013年、宇都宮市が「東西基幹公共交通の実現に向けた基本方針」を決定すると、一般市民も含め、LRTを軸とする新たな交通まちづくりへの期待が高まった。そして、2015年、宇都宮市と芳賀町が51%を出資する宇都宮ライトレール株式会社が設立され、8年かけて開業にこぎつけた。
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