このようなコンクリートの構造物を造る、というだけでなく、急傾斜の崖が崩れないようにした、という土木技術が昭和初期という時代にすでにあったのだ。

 箱根という日本有数の景勝地に訪れた人を迎える入口として、函嶺洞門はりっぱな役割を果たしていたことが、この写真でもわかってもらえるだろう。

箱根の難所に造られた函嶺洞門、90年で役割を終える

 函嶺洞門は、国道1号が小田原を過ぎ、箱根湯本から芦ノ湖まで登っていく途中にある。この区間は地形が急峻で、旧東海道の時代から難所として知られていた。

 古い資料によれば、1923年(大正12年)に発生した関東大震災以後、この地域では土砂の崩落が甚だしく交通が極めて危険であると判断され、1931年(昭和6年)にトンネルに似た構造の「洞門」(覆道などとも言う)が造られた。

 当時の設計図によるとアーチ形の開放部は15であったが、現在の開放部を数えてみると18ある。工事途中ではマグニチュード7.3の直下型北伊豆地震が発生して新たな崩落などがあったという。このことが影響しているかは定かではないが、何らかの理由で設計が変更され、現在の長さ100.9mの函嶺洞門が完成した。ちなみに、函嶺の「函」は“はこ”とも読む文字で、函嶺は箱根山の別名だ。

函嶺洞門は合計18のアーチ開放部で構成されている(2021年11月撮影)函嶺洞門は合計18のアーチ開放部で構成されている(2021年11月撮影)

 函嶺洞門と同時期に、旭橋・千歳橋という2つの橋も建造された。どちらも同地の軟弱な地盤にかかる負荷を軽減できるタイドアーチという形式を採用した鉄筋コンクリート造の橋だ。

函嶺洞門(①、閉鎖されているので淡色で示されている)、旭橋(②)、千歳橋(③)の位置函嶺洞門(①、閉鎖されているので淡色で示されている)、旭橋(②)、千歳橋(③)の位置(国土地理院)
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