宗教法人創価学会の池田大作名誉会長が11月15日、老衰のため95歳で死去していたことが明らかになった。戦後の創価学会の拡大をリードしたカリスマ的存在だった同氏亡き後の創価学会、そして同学会を支持母体とする公明党にどんな変化が起きうるのか。両親とも創価学会の幹部を務め、自身も創価高校、創価大学、創価学会本部職員という道を歩んだ文筆家の正木伸城氏(主著に『宗教2世サバイバルガイド』)による緊急寄稿をお届けする。
(正木 伸城:文筆家)
幼少の頃から250回以上、池田氏と会ってきた
11月18日、創価学会名誉会長・池田大作氏の訃報が届いた。95歳、老衰のためだったという。心よりお悔やみ申し上げたい。
各種メディアでも書いてきたことだが、私は創価学会の元本部職員(36歳になる年まで勤務)で、創価大学、創価高校、創価中学の出身だ。父は、学会の元理事長(=組織運営上の実質的なナンバー2)だった。そんな父の立場上の縁もあって、私は幼少の頃から池田氏とさまざまな形で会ってきた。その回数は250回をはるかに超える。
現在、私は創価学会員ではあるものの、信仰はしていない。学会員は池田氏を「人生の師匠」として慕い、尊敬しているが、今の私にその情念はない。とはいえ、自分の生涯の大半を懸けてきた信心の世界である。
数年前までは、私も同氏を人生の師匠として尊敬していたし、同氏の言葉や振る舞いからその意図をくみ取り、師の心境・言動に肉迫しようと努めてきた。そうした経緯があるからだろう。訃報に接した時に、胸のざわつきを抑えることができなかった。
まして、現在も信仰を続けている学会員ならどうか。その心の内、張り裂けんばかりの胸中の悲しみは筆舌に尽くしがたいと思う。人生最愛の人を亡くしたことを想像してもらえれば、その一端がわかるかもしれない。
誤解を恐れずに言えば、「それ以上の」悲しみが学会員を襲っている。この上ない存在の喪失。それが、人生の師匠を喪うということなのだ(と、個人的には想像する。この「悲しみの度合い」について語る資格は、もはや私にはない)。