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菅首相は、衆院選で2回も創価学会の支援に助けられた。それがなければ落選していた可能性が高い(2003年の選挙戦で、写真:ロイター/アフロ)

(文:フォーサイト編集部)

 自民・公明両党の圧倒的支持によって国会で第99代総理大臣の指名を受け、9月16日に自公連立政権を発足した菅義偉首相は早々に27日、公明党の第13回全国大会に駆けつけた。

 公明党は1964年の結党以来、一度も選挙を行うことなく委員長・代表を選出しており、今回の全国大会でも、山口那津男代表が無投票で7選を果たしたが、その山口代表と菅首相は壇上でガッチリと握手してみせた。

 その上で菅首相は挨拶の中で、

「安倍政権7年8カ月、公明党には、安定的な政権運営に尽力をいただいた。日本経済の再生、外交安全保障の再構築、全世代型社会保障の実現といった大きな課題に成果を上げることができた」(『公明新聞』9月28日付)

 と謝意を述べた後、自らの政治の原点と公明党の政治姿勢は通底するとして、次のように公明党を礼賛、やんやの喝采を浴びた。

「私の政治の原点は、横浜市議選に出馬した時、一人でも多くの人に会って市政に対するアンケートを行い、そこから私の考え方を申し上げたことだ。まさに、公明党の皆さんは『大衆とともに』という大きな政治理念の下、全国的なアンケート調査を行っている。重要な問題については、しっかり(国民の声を)吸い上げて、私ども政府に何回となく要請をいただいた。私は、友党・公明党の皆さんの政治に心から拍手を送る者の一人だ」(同)

 自公連立政権の首班として、公明党の全国大会で喝采を浴びた菅首相は、自民党国会議員の中で、もっとも太いパイプを公明党の母体である創価学会と結んでいる政治家として知られている。

 しかし、実はかつては創価学会を、自民党議員の中でもっとも激しく批判・攻撃した政治家の1人であることは、案外知られていない。

熾烈な反創価学会キャンペーンを展開

 先の挨拶にもあるとおり、菅首相は横浜市議から1996年の第41回衆議院総選挙で国政に進出した。

 この衆院選は小選挙区での初めての総選挙であり、神奈川2区から出馬した菅氏の直接の相手は、新進党現職(当時)の上田晃弘候補だった。周知のように新進党は当時、細川護熙・羽田孜両政権を誕生させた小沢一郎氏と、創価学会・公明党を中心とする非自民勢力が、政権奪還を目指して組織した自民党と拮抗する最大の政敵だった。

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