墓石に漢字で刻まれた没年や戒名

 むしろ、ロシア人墓地のほうが、草が茫々で荒れ果てていた。これは、ロシア人にとって北方領土が過酷な場所であることを表している。現地の不便な生活に耐えきれず、内地のモスクワなどに引っ越してしまい、そのまま墓が放置されてしまったからだ。

国後島の日本人墓地(2015年)
国後島のロシア人墓地。草ぼうぼうで荒れ果てていた(2015年)

 ロシアに実効支配されている地とはいえ、「和の存在感」を示しているのが日本人の墓である。墓石には没年や戒名などが漢字で刻まれている。墓石は、いくらロシアが、自国領であることを主張しようとも、そこがかつては日本固有の領土であったことを証明しているのである。

 私たちは、そこで手を合わせ、故郷に残り続ける故人に語りかける。それはいつ訪れても、胸が熱くなる光景である。元島民らは「いつでも墓参りできるようにしてほしい」と訴える。墓は「故郷そのもの」なのだ。

 しかし、昨年から続くウクライナ戦争によって、北方領土交渉は断絶。ビザなし交流再開の目処は立たない。元島民の平均年齢は現在87歳。北方領土で墓参りするには、限界の年齢が近づいている。

国後水道(国後島と択捉島の間の海峡)を通過中の船より、夕景が美しい国後島の爺爺岳を望む

 

筆者の新著『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)