択捉島の資料館に残っていた寺の梵鐘

 現地での日本の痕跡といえば、ロシアに接収された家財道具などが展示されている資料館が択捉島にあるくらい。そこで寺の梵鐘を見つけた時には、心が痛んだ。戦前の北方領土には寺を中心とするムラ社会が存在した、数少ない証である。

択捉島に残されていた寺の梵鐘
択捉島の集落と日本人墓地。ロシア人墓地も入り込んでいる(2015年)
倒れて地面にのめり込んだ墓もある(択捉島、2015年)

 では、北方領土のうち、色丹島と仏教寺院の関係性を紹介しよう。色丹島は根室・納沙布岬から北東におよそ70kmの距離に位置する。約24km×10kmの長方形の島である。

色丹島に残る占領時の戦車(2013年)

 島全体が丘陵地帯になっていて、湿原が点在する。そこは高山植物や日本でも絶滅した動植物が存在し、実にダイナミックで美しい情景が広がる。仮に領土が返還されたら、特にこの色丹島はエコツアー好きには、たまらない聖地になることだろう。

 実は色丹島は明治初期、島全体が浄土宗の増上寺(東京都港区)の寺領だったという知られざる過去をもつ。それを解き明かすには、少し島の歴史を振り返る必要がある。