仏教各宗派が寺院を建立

 実際、北方領土には多くの寺が建設された。浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗など計24の寺院(無人の地蔵堂などを含む)が建立されたとの記録が残っている。

 1945(昭和20)年のソ連の侵攻時、北方四島の日本人はおよそ1万7000人。人口に対する寺院数(寺院密度)はかなり多かったとみてよい。

 現在は領土の帰属をめぐって日露間で紛争中であるため、寺院の調査は事実上、ほとんど手付かずである。北海道神社庁とロシア・サハリン州が2005(平成17)年にまとめた共同学術調査報告書が唯一、存在する。

 日本の寺院はソ連の侵攻とともに全て破壊され、現在はかろうじて石垣が残っている程度だ。しかし、集落の外れには日本人島民の墓地が、比較的、良好な状態で残されていた。

 1964(昭和39)年から続けられ、ウクライナ戦争による日露関係の悪化で中断している墓参(北方墓参、ビザなし交流)は、元島民にとって極めて大切な行事である。これは、北方領土に残された先祖代々の墓に手を合わせたいという元島民の願いを、人道的立場に沿って旧ソ連が受け入れたものだ。墓参にはロシア人島民も参加する。墓参りを通じた、日露の民間交流の場となっていた。

 話を色丹島に戻す。私は島の墓地のひとつ稲茂尻墓地を訪れた。周辺は湿地帯が広がり、何基かの墓石が点在する。そこは、えも言われぬ絶景墓地であった。戦後70年以上が経過しているにもかかわらず、下草などが刈られ、きちんと管理されていたことには驚いた。

 聞けば、日本人がお参りしやすいように日頃、ロシア島民が管理をしているという。択捉島や国後島の墓地においても、一部倒れている墓や林に埋もれつつある墓もあるが、比較的きちんと維持されてきている印象があった。