平壌・万寿台にある金日成主席と金正日総書記の銅像(写真:ロイター/アフロ)

 かつて日朝両政府が推進した在日朝鮮人とその家族を対象にした「帰国事業」。1959年からの25年間で9万3000人以上が「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮に渡航したとされる。その多くは極貧と差別に苦しめられた。両親とともに1960年に北朝鮮に渡った脱北医師、李泰炅(イ・テギョン)氏の手記の2回目。

 ※1回目「『地上の楽園』北朝鮮に渡った在日朝鮮人が語る辛苦」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64819)

金正日の意向で変わる徴兵期間

(李 泰炅:北送在日同胞協会会長)

 北朝鮮は王が治める国だ。憲法も徴兵制も、その時々に下される王命によって変わる。

 最高の法律は金一族である。炭鉱が人手不足となれば、27歳以上の人を除隊させて送り込む。軍事力を強化する必要があれば、勝手に兵役を10年に延長する。兵役は「祖国を守るための義務服務」だと北朝鮮はいう。だが、実は「独裁者が勝手に決める服務制」といえる。よって徴兵制の期間は一定ではない。事情によってそのつど変わるのだ。

 私が金正日(キム・ジョンイル)の王命により入隊したのは1971年。当時、兵役は27歳までと決まっていた。私は北朝鮮南西部、黄海南道(ファンヘナムド)で砲兵の任に就いた。勤務していてた哨所から韓国まで、水陸両用戦車で5分という場所にあった。

 北朝鮮に“帰国”した在日朝鮮人とその家族を意味する「北送在日同胞」という「悪名」は、ここでも付いて回った。ややもすると政治犯収容所に入れられるという緊張感のある日々だった。

 軍部隊の保衛部(秘密警察)は、私の髪の毛と筆跡を情報員に集めさせていた。髪の毛は何か事件が発生した時にDNA型鑑定を行って調べるため、筆跡は政府を非難するビラと照らし合わせるためだ。「いつ政治犯収容所に連れていかれるか分からないから、しっかりしよう。気を緩めてはいけない」。私は危険な崖っぷちに立たされているような気がした。捕まえようとする保衛部と逃げる私。まるで猟師と魚のような関係だった。

 北朝鮮で暮らしている間、このような監視はずっと行われた。そのせいで監視と弾圧、政治犯収容所という言葉は、私にとって一生のトラウマになった。