脱北に成功もミャンマーでの落とし穴

 鴨緑江(アムノクガン)を渡って中国に入り、北朝鮮と国境を接する長白朝鮮族自治県の密林を5日間、夜間中歩き続けた。松江(しょうこう)河に到着し、朝鮮族が多く住んでいる吉林省延吉市まで移動した。そこにある教会に行けば助けてもらえる。45年間の独裁と弾圧から解放され、熱望していた自由を手に入れられる、と考えた。

 しかし、希望はすぐに打ち砕かれた。牧師と伝道師に「ここは中国です。中国の法律を破ったら閉鎖されてしまう。すぐに出ていかないと告発します」と脅された。一瞬にして教会に幻滅した。彼らの信じる「中共の神様」と「自由民主主義の神様」は違うようだ。弱みを握られたような気がして、急いでそこを出た。

 延吉市にある「慶州民泊」という宿で、1週間を過ごした。朝鮮族のオーナーと親しくなり、北京にいる朝鮮族のブローカーを紹介してもらった。そして、汽車に乗って北京へ行き、ブローカーに会って1000ドルを支払うと、1.5坪の1人部屋を提供された。そこから1カ月待ち、やっと出発できることになった。

 だが、直接タイへ入る正規のルートではなく、ミャンマーを通るルートだった。脱北者を難民として認めてくれるタイに行かなければ、韓国に入れない。カネのためなら人間でも売り飛ばす朝鮮族ブローカーの手により、私はミャンマー人ブローカーに奴隷のごとく引き渡された。そして、タイに向かう途中、ミャンマーの検問所で「不法入国者」として投獄されたのだ。

 中国で過ごしたどん底のような2カ月の逃避生活。ミャンマーで虫けらのように過ごした2年6カ月の熱帯監獄──。かつての日々を思い出すと、私の人生で今ほど幸せな時はない。虫けらのような生活をしてきたからこそ、この幸せがよけいにありがたく感じられるのだ。

 ミャンマーの2年6カ月の監獄生活、そして自由民主主義国に入ってからの定着の過程については、次回話そうと思う。(翻訳:金光英実)