コロナでは火床が削減された

 終戦翌日の1945年(昭和20)年8月16日も、準備不足などの理由よって送り火は実施されなかった。戦前には「七山」であった送り火は、戦後の復活時に「五山」に減って、現在に至るというわけだ。

 ちなみにその後、送り火が1年に2度、点火されたことがある。最近の例では、2000(平成12)年の大晦日に「ミレニアム送り火」と題して、灯された。

 コロナウイルス感染症蔓延によって2020(令和2)年と2021(令和3)年の送り火は、鑑賞目的で人々が密集するのを避けるために「文字」を形成するのではなく、「点」だけで灯されている。「大文字」は火床75か所で浮き上がらせるが、コロナ禍では人出を減らす目的もあり規模が縮小され、中心と頂点、端の6か所のみの点火になった。ほかの文字は1〜2か所のみの点火と寂しい送り火であった。

 今宵の五山送り火。その美しい炎には、哀しい過去が隠されていることもぜひ、知ってもらいたい。

筆者の新著『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)