京都のお盆の行事、「五山送り火」。コロナ禍においては規模を大幅縮小して実施されたが、昨年2022(令和4)年に元の姿に戻された。今年はインバウンドが戻ってきたことで、見物客の大混雑が予想される。その送り火は時代によって翻弄されてきた。江戸時代は10もの山で灯されていたという。京のお盆の行事と送り火に込められた、哀しい史実に目を向けてみよう。#戦争の記憶
(鵜飼 秀徳:作家、正覚寺住職、大正大学招聘教授)
東京と京都のお盆時期がずれているワケ
私は京都でお寺の住職を務めている。京都のお盆は、お坊さんが檀家さん宅を回って、仏壇供養する「棚経(たなぎょう)」で幕が開き、そして今宵(8月16日)の「五山の送り火」で幕を閉じる。
うちの寺の場合、棚経は朝6時台から日暮れまで。早朝の訪問を受け入れる檀家さんにとっては、えらい迷惑かもしれないが、毎年恒例のことなので、お互い慣れっこである。
しかし、こうも暑くては、お盆はもはや「坊さん殺し」と言わざるを得ない。シースルーのような夏用の法衣も、多くはナイロン製であり、真っ黒なので太陽熱を吸収してかなり暑い。私の場合、近年はエアコンの効いた自動車で檀家さんを回らせていただいている。
ところで、東京のお盆は7月で、すでに終了している。なぜ、東京と京都(他地域)のお盆がひと月ずれているかといえば、新暦から旧暦移行した明治初期に遡る。江戸時代までは、お盆は全国的に7月(旧暦)にやっていた。
現在の東京のお盆は、旧暦の月日をそのまま新暦にあてはめているので、今年は7月13日から16日までであった。
それに対して東京の暦の形態を取れない地域があった。当時、日本の大部分を占めていた農村部である。7月は農作業の繁忙期であり、お盆の支度ができないのだ。