日本航空の再生にも尽力した稲盛和夫氏(写真:アフロ)

(鵜飼 秀徳:作家、正覚寺住職、大正大学招聘教授)

 京セラ(京都市伏見区)の創業者の稲盛和夫さんが、逝去されていたことが8月30日に分かった。稲盛さんは経営破綻した日本航空の再生に尽力された人物でもある。24日に京都市内の自宅で亡くなり、既に密葬が済まされたらしい。初七日法要を終えた段階で、報道発表された形となった。

 稲盛さんは仏教の理念を経営に持ち込んだ人物だった。稲盛さんは「経営の神様」とも喩えられるが、むしろ「経営の仏様」と呼ぶほうが、ふさわしいだろう。

無数のマイクを向けられる稲盛氏。日本航空の再生は社会の関心も高かった(写真:ロイター/アフロ)

 少し稲盛さんの、仏教人生を振り返りたい。

 稲盛さんは1997年に禅寺で得度を受けている。得度を受けた後に修行道場に入門。真冬に托鉢も経験していた。

 日本経済新聞に掲載された『私の履歴書』(2001年3月)では、当時の様子を語っている。

「戸口で四弘誓願文というお経をあげ、お布施をもらう。慣れない托鉢を続けていると、わらじの先からはみ出した指が地面にすれて血がにじんでくる。道の落ち葉を掃除していた年配のご婦人が寄ってきて、『大変でしょう。これでパンでも食べて下さい』と百円玉を恵んでくれた。それを受けた時、私はなぜか例えようのない至福の感に満たされ、涙が出てきそうになった。全身を貫くような幸福感、これこそ神仏の愛と感動した。私は『世のため人のため尽くすことが、人間として最高の行為である』と言い続けてきた。善きことを思い、善きことを実践すれば良き結果を招く。悪いことをすれば悪い結果を招来する」

 老婦人はこの雲水が稲盛さんだとはきっと、知らなかったのだろう。この時、稲盛さんは富や権力も捨てた修行僧の立場だった。老婦人との対等かつ純粋な関係性の中で、老婦人の純粋な布施の行為に稲盛さんは「利他の心」を感じ取ったに違いない。

 著書『成功の要諦』(致知出版社、2014年)の中も、こんなことを言っている。

「利己、己を利するために、利益を追求することから離れて、利他、他人をよくしてあげようという優しい思いやりをベースに経営していきますと、会社は本当によくなります」