(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
地元でも忘れられた城跡
東京23区内の城跡を訪ねるシリーズの第7弾として紹介するのは、大田区の八幡塚砦だ。超マイナーな城跡で、かなりの城マニアでも知らないにちがいない。
とはいえ、前回の渋谷城のような「ガセ系」ではない。ちゃんと戦国時代に存在した根拠があり、築城者も築城年次も、どんな城かもわかっている。
京浜急行本線の六郷土手駅を降りたら、駅前の道を右手(東方)に進む。第一京浜道路を渡って300メートルほど行き、信号のところを左手(北)に折れると、突き当たりに六郷神社が見える。距離的には、一つ隣の雑色(ぞうしき)駅から歩いて大して変わらない。
この社地がすなわち、八幡塚砦跡だ。といっても、六郷神社の境内を見回しても、土塁・堀のような城跡らしい痕跡は何もない。城としての説明板もなく、どうやら地元でも忘れられた城跡のようだ。
こんなときは、まず地図で場所を確認してみる。六郷土手の駅は、京急線が多摩川を渡る直前にあるが、多摩川が大きく蛇行しているので、六郷の一帯は南に突き出した半島のように見える。昔は、さぞかし多摩川の氾濫に洗われたことだろう。
ただし、「雑色」の地名は、荘園制において国税の一部を免除された「雑色免」に由来すると見られるから、古くから人が住み着いて耕作が行われていた土地柄なのだろう。また、江戸時代に編まれた『新編武蔵風土記稿』という地誌を見ると、雑色村のあたりは水田より畠が多く、八幡塚村も水田と畠が相半ばする、と記されている。
一見すると、低湿地が広がっていただけのように思えてしまうが、実際は水田になる低湿地と、水田にならない微高地とが入り交じった地形だったわけである。
勘のよい人なら、ここでピンと来たかもしれない。そう、このような場所を歩くときは、微高地の痕跡をたどることがポイントとなるのだ。注意深く観察してみよう。