連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
井原西鶴は江戸初期に大流行した通俗小説・浮世草子の第一人者である。愛慾、金銭欲、名誉欲、物欲など人の本質的な「性(さが)」を描く作風で知られる。
西鶴は「人」と「銭(ぜに)」との関係をこう記している。
「世に銭ほど、面白きものはなし」
「なににつけても金銀なくては世にすめる甲斐なきこと、いまさらいふまでもなし」
「その身、働かずして、銭が一文天から降らず、地から湧かず」
「人間は欲に手足のついたものぞかし」
「憂うる者は富貴にして憂い、楽しむ者は貧にして楽しむ」
大名の姪と身分の低い侍の恋
男が女を想い、女が男を想う。それは普遍的な事象であるが、恋と愛の違いは何か。
「恋には下心があり見返りを期待するが、愛は見返りを求めない」
「恋は自己の欲望を満足させようとするが、愛は自己犠牲をも厭わない」
それらは一見似て非なるものだが、その本質は、恋とは奪うもの、愛は与えるもの、と実体は相克するものらしい。
江戸時代、厳しい封建制度下の恋愛と結婚の問題を初めて批判的に取り上げたのが1685年に刊行された『西鶴諸国ばなし』の中の一編「忍び扇の長歌 江戸土器町にありし事 恋」である。