震災関連死の62%が福島県、原発事故の影響

 大事故が起きた際に住民を安全に避難させることは、原子力災害に備える最後の防護策として重要だ。しかし、東電の事故では、それも機能しなかった。命にかかわる情報さえ、浪江町には伝えられなかった。

 原発が危機に陥った段階での半径10キロ圏内の避難指示(3月12日午前5時44分)、爆発3時間後に半径20キロに拡大された避難指示(同日午後6時25分)、いずれも国や県、東電から連絡はなく、浪江町は報道で知った。国や県が避難用のバスを送ってくれることもなく、町は民間バスなどを自力でかき集めた。

 さらに、放射性物質の広がりを緊急観測したデータがあったのに伝えられず、シミュレーションで汚染の程度を予測した情報(SPEEDI)も伝えられなかったため、汚染レベルが高い方向に多くの町民が避難してしまう事態も引き起こした。

 こんな情報の混乱のため、町民は何回も避難場所を変えなければならなかった。浪江町では30%以上の人が6回以上の避難を強いられた*5

 東日本大震災で、津波や建物の下敷きなど地震の直接的な被害による死者・行方不明者は1万8423人で、そのうち福島県は1810人で約1割だ*6。ところが震災関連死は3789人のうち、福島県が2333人で62%を占める*7。震災関連死とは、地震からある程度の期間をおいて亡くなった人のうち、災害によるストレス、持病の悪化など何らかの因果関係があると市町村が認めたものだ。

 福島県は、「本県の震災関連死の原因は『避難所等への移動中の肉体・精神的疲労』の割合が大きい。これは、原発事故に伴う遠方への避難は複数回に及ぶ避難所移動等による影響が大きいと考えられる」と報告している*8。福島県の震災関連死のうち、原発事故がなければ、避けられた死は多いのだ。

「津波被災だけであれば浪江町内の仮設住宅に避難し、今頃は地区住民全員が集団移転に参加。新しい場所での生活が始まっていたと思います」

 こんな町民の意見も、請戸小のパネル展示で紹介されている。浪江町の被災者たちは、全国にばらばらに避難を強いられた。放射線レベルが下がった地域から帰還は始まっているが、浪江町に住んでいる人はまだ1964人で震災前の人口の約9%だ。「津波被災だけであれば」という思いは強いのだと思う。

*5 国会事故調報告書 p.344

*6 警察庁 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の警察措置と被害状況 2023年3月10日
https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijyoukyou2023.pdf

*7 復興庁 東日本大震災における震災関連死の死者数 2022年6月30日
https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20220630_kanrenshi.pdf

*8 福島県 平成25年度原子力行政のあらまし p.2
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/56532.pdf