たまたま避けられた東日本壊滅

 東電が引き起こした原子力災害は、もっと大きくなる可能性が高かった。大地震の3日後の3月14日の夜、福島第一2号機は大爆発寸前の状態に陥っていた。

 同原発の吉田昌郎所長(当時)は、政府の事故調査委員会に、こう証言している*9

「完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」

「放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」

 その時までに、すでに1号機と3号機の建屋が爆発していたが、2号機はそれよりもっと悪い事態、格納容器の爆発を引き起こす寸前だった。政府が描いていた最悪シナリオでは、首都圏の大部分まで含む半径250キロで約5000万人が避難を迫られる事態に進展することが予測されていた。東日本壊滅である。

 それを避けられたのは、現場の努力だけでなく、偶然の要素によるところが大きかった。たまたま、助かったのだ。

 自民党の麻生太郎副総裁は、高市発言から10年後の今年1月、「原発は危ないと言うけれど、原子力発電所で死亡事故が起きた例がどれくらいあるのか調べてみたが、ゼロだ」「今最も安く、安全な供給源としては原子力」などと述べた。原発回帰に大きく舵を切った政権は、再び原発の安全性を強調したいようだ。

 しかし、そんな言葉を鵜呑みするのは危ない。現地で、自分の目で事実を確かめてもらいたい。

*9 政府事故調 ヒアリング記録 吉田昌郎 事故時の状況とその対応について4
https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/077_1_4.pdf