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故・藤田洋毅氏が担当した記事 (C)新潮社写真部故・藤田洋毅氏が担当した記事 (C)新潮社写真部

(文:堤伸輔)

 その記事は、まだ紙のB5判で刊行していたForesightの1993年2月号に掲載された(「ポスト鄧小平の時代が始まろうとしている」)。中国の最高実力者である鄧小平は、少し前に第一線は退いていたが、江沢民体制に隠然たる影響力を有していることは間違いなく、その人物が「入院」したとなれば、紛れもない世界的スクープだ。

 情報は、藤田氏の長年の情報源からもたらされた。北京市の西部にある「人民解放軍三〇一医院」にわざわざ増設された高級幹部用の「南楼」の最上階に、鄧小平が入っている、というのである。

 まだSNSなど影も形もない時代、この大スクープが世界に知れ渡るには、半年以上を要したという記憶がある。すぐに大騒ぎとはならなかったのだ(『週刊新潮』は特集記事を出してくれたが)。何しろ、海外メディアを含めて他が追随しようにも、事実を独自に確認できない。その難しさは、現在の習近平体制の中国と同様であり、こと鄧小平の動静に限れば、いま以上に知りようがなかったのだ。

 もちろん、誌面に掲載するにあたっては、副編集長として藤田氏の原稿を担当していた私は、誤報にならないよう、彼に情報源の開示を求めた。聞かされた人物の名前と経歴・肩書きは、なるほどその人物なら「入院」を知っていてもおかしくないと思わせるものだった。藤田氏との親密な関係も、別の機会に見聞していた。

 ノドからここまで出かかっていて、名前が言えないのはもどかしいが、中国の場合、後日談としてでも情報源を明かせないのは、お分かりいただけると思う。その人物も藤田氏も鬼籍に入ったが、明かせば家族や子孫にまで迷惑がかかるのが中国だからだ。いずれにせよ、その老人は南楼4階の病室に鄧小平を見舞い、藤田氏に「鄧さんが入院していたぞ」と伝えてきたのだった。

最初に書いてもらったのがとびきりのスクープだった

 藤田氏を私に紹介してくれたのは、ある大手メディアの幹部だった。「堤さん、うちの会社に中国情報にかけてはピカイチの男がいるんですけど、鼻っ柱が強すぎて上司とケンカばかりしていて、誰も使いこなせない。情報があまりにもったいないので、こいつを引き受けてくれませんか?」と。

 聞くと、北京に送っても「野放図に暴れ回った」ため、中国当局に会社ごと睨まれるのを恐れて、日本に呼び戻したのだという。編集現場で衝突を繰り返して、「いまは原稿の書けない部署に飛ばされている」と幹部は教えてくれた。

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