また、革命以来の最高幹部らの遺骨・遺灰が収納された「骨灰堂」にも、ある遺族の一行に紛れて潜入した(2006年5月号「独裁の象徴『骨灰堂』に中国の行く末を見る」)。

新疆ウイグル自治区へも北朝鮮へも

 足を向けたのは北京の中だけではない。近年の「新疆ウイグル自治区」や、中朝国境にかかる丹東の中朝友誼橋の「中間地点の一歩向こう側」へ、そして、鴨緑江を密かに渡って国境警備兵のいる北朝鮮側へも(2007年1月号「写真レポート 北朝鮮国境地帯をゆく」。この原稿は中国渡航直後の発表による“身分ばれ”を防ぐため青井悠司の名で掲載した)……。

 いずれも、「そんなところに外国人が入るのは無理でしょう」と、中国に詳しい人ほど言いそうな場所ばかりだが、彼は入り、多くの場合、上記のレポートのように証拠に写真を撮り、日本に持ち帰ってきた。

 こうした場合、Foresightのその月の取材費のほぼ全額を藤田氏ひとりに提供したことも何度もある。すぐ前にも書いたように、いまや外国メディアには極めて入りづらい新疆ウイグル自治区にも、コロナが流行する少し前まで、彼は何度か“潜入”し、中心都市ウルムチだけでなく、カザフスタンとの国境の検問所までも出かけた。さらには上海で、軍の極秘の情報拠点まで割り出しもした。いずれも、ツテがあってこそ可能となった行動だ。

 時期によっては、なかなか中国に行けないこともあったが、そういう場合、藤田氏は中国の幹部が海外に出る機会をよく利用した。たとえば、成田経由でワシントンに行くと北京の友人から連絡を受けると、成田空港でのトランジットの数時間に、濃密に話を聞いて情報を得ていた。年来の友人などは、彼のためにわざわざ直行便ではなく成田経由便にしてくれたこともあったようだ。

 また、友人らが日本を含め外国勤務になると、中国国内にいるときよりコンタクトしやすく、彼らの口も開きやすくなって助かるとも言っていた。

 彼のおかげで、1990年代から2010年前後まで、Foresightの中国報道は支えられ、他のメディアにない独自の情報の数々を掲載することができた。それによってForesightの面目を高められたことを、ここで特筆しておきたい。

 中国人の心を掴み、彼らと深く交わり、中国を愛しつつも問題点・難点は鋭く指摘し、深みのある記事を書き続けてきたジャーナリスト・藤田洋毅。これほどの存在は、今後なかなか現れないと思える。 (2024年4月19日記)

堤伸輔
(つつみしんすけ)Foresight元編集長。1989年の「フォーサイト準備室」から同誌に参画。副編集長、編集長を務め、中国関係の記事を多く担当した。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
中国不動産バブルは“いつから”崩壊していたのか?――12兆円粉飾決算が語る意外な真実
「太陽節」の名称を避け始めた金正恩政権
ガザ危機はどこに向かうか――非欧米に深く浸透する「占領者によるジェノサイド」論