東京大学正門(撮影:川嶋諭)

 前回稿は週末の公開でしたので、あまり読まれないではないかと心配していたのですが、予想に反してトップ3、週末いっぱい多くの方に読んでいただけたようです。

 そこで、バイドゥ(百度)の「Simeji」が調べた「Z世代が将来役に立たないと『思う』教科Top10」の各論をお届けします。

 実はサイエンスや英語から入る方が簡単なのですが、今回はあえて「国語」から始めてみたいと思います。

 というのは、実は私は「入試『現国』」の問題文筆者として「頻出」の部類に属しているのです。毎年ある時期になると封書が数通届き、著作権許諾を求められる。

 早稲田大学、日本大学、共立女子大学など様々な大学で「問1」や「問2」相当の長文読解に、私の本からの抜粋を使ってくださっています。

 そのあおりで駿台予備学校、河合塾とかSAPIXとかいった塾からも、模試に出題したとか、過去問集を出版するとかで依頼がきます。

 さらにその影響でしょう。このコラムを読む中学高校生、場合によると小学生(中学入試にも出題されたことがあります)までいるようです。

 そこで、「日経ビジネスオンライン」時代よりも扱う話題を品位良く、教育的にシフトした経緯なども、実はあるのです。

 ということで、そういう角度からも考え「国語の使い方」をZ世代~α世代の皆さん、またその親御さんの世代にお届けしたいと思います。

国語がダメならすべてダメ

 まずSimejiで「役に立たない第9位」にランキングされた「国語」への不評を見てみましょう。

① 「社会に出て古文で話す人はいない」

② 「古文が苦手」

③ 「漢字とかは必要だけど、物語とか読むのはなんも力つかないと思う」

④ 「日本に暮らしてたら自然と国語力つくと思う。古文とかいらない!」

⑤ 「昔の人が何を伝えたいか知らんし、こっちには関係ない」

 上のクレームは③以外は「古典」「古文」に関係しているようですが、③は「物語」とあるので小説など現代文を含む可能性があると思います。

 そこで、まず現代国語を「論説文」と「小説」などに分け、次に「古典」を日本の「古文」と「漢文」に分け、実社会でのこれらの活用法を分かりやすくお話ししましょう。

 ちなみに入試で出る私のテキストは「聴能力」とか「なぜ猫は鏡を見ないか」など、単行本や新書の論説文ですが、私が開高健賞を貰ったのはノベライズド・ノンフィクション「さよなら、サイレント・ネイビー」でしたし、いずれの原稿も仕事として出稿してきた立場から、記してみたいと思います。

 以下、前提として「日本語を母語とする」Z世代、α世代や、その保護者向けに書き進めます。

 まず現国「論説文」について。率直に、良薬は口に苦しで、本当のことを記します。

 一番使えるはずの「母国語」で、正確で論理的な思考ができなければ、人生で出会うあらゆる仕事で、きちんとした成果は挙げられません。

 米国企業などは何とかの一つ覚えで「STEM」「STEAM」とIT時代の使い捨て労働力に「理数能力を持つ人材」を欲しがりますが、「理数教育」だけやっても生涯伸びる人材になるとは到底思えません。

 欧州ではSTEAMは2015年頃終わっています。まだそんなものに予算を使っている国があり、ただただ呆れます。

 いま、生成AIが一通りのコーディングを瞬時に吐き出すようになってしまった2020年代、母国語を正確に用いて、論理的に必要十分な思考ができない人は、人事の観点から見れば、責任ある業務を分担させられません。

 現国の論理的な部分を捨てる人は、自分の人生のかなりの可能性を棒に振るのに近いリスクを冒すことになりかねない。

 数学でも物理でも、あるいは法律でも歴史でも、すべて母国語を併用して論理的に考えて仕事するのであって、論理を正確に組み立てる「母国語」の構築力は、人として社会生活を送るうえで必須不可欠と覚えておいてください。

 その意味ではSimejiという媒体も無責任なランキングを考えるものです。外資ですから、何でもできるなどとはあえて言いませんが・・・。

 では「物語」や「小説」などはどうか?

 これを捨てる人は、商談や交渉事、もっと分かりやすく言えば「プレゼンテーション」必敗のクジを人生で引くようなもの。

 悪いことは言わない、人の気持ちを察せられる大人になる最良のトレーニング、心の冒険として、小説や物語で「登場人物の心理」を察しながら読書することを勧めます。

 問題はそういう指導ができる先生が減っていることにある。

 これ、はっきり言いますが、ここ10年来、東京大学生を母集団に見ていても全般的に大変低下している部分で、一教官としてもとても心配しています。

 ただでさえスマートフォンその他が子供たちの時間を蚕食して、普通に束のついた紙の本を読む時間も、量も、明らかに減っている。

 生まれてこの方、文庫本を一冊も読んだことがないという学生とも複数、教室で出会ったことがあります。

 社会に出れば、世の中は海千山千、また社内プレゼンテーションだって相手の心を掴まなければ先に行けない。

 ましていわんや、お客さんとのやり取りは空気を読みまくって慎重に進めねばならない。

 そこで、こういう腹芸はAIが全く無力な、もっぱら人間の領分です。

 第一志望の企業に入って数日で辞めてしまうとか、もっと困ったことになる若い人も普通にたくさん見かけます。

 若い人の心が折れやすくなっている趨勢と、スマホばかりいじって本を読まない、特に文学の文字面だけを見て脳裏に様々な世界を思い描く経験が減っていることには、相関があるように思われてなりません。

 ちなみに私は速読を身に着けていたので、電車通学の中高生時代、毎日2~3冊文庫本を読み飛ばしていました。

 気分転換も含め小説とそうでない書籍と半々くらいでしたが、音楽を考える詩集とか、熱病のように夢中になった筒井康隆の小説など、何度も読み返した本から深く影響を受けたと思います。

 さて、「管理職とは、複数の立場の人の気持ちになって業務をマネージすることだ」と言った人がありました。

 こういうトレーニングは「論説文」ではできません。

 EQの高い人を見分ける一大ポイントが、小説読解などの問いに潜んでいます。コミュニケーション能力を伸ばしたいと思ったら、物語の世界こそ貴重なファームを提供してくれます。

 国立大学教官としても、また私の本業は音楽なので普段「作家」を決して名乗りませんが、開高健賞という文学賞も受け、それから20年来、一貫して一般媒体に出稿してきた一人の職業筆者としても、強調しておきたいと思います。

 例えばユーチューブなどでヒットするコンテンツを作りたいと思う人、あるいはゲームクリエーターとして面白いものを創りたい人などには、特に様々な小説を読むことをお勧めします。

 次節で触れるように「ヒット商品」を生み出すうえでも、アイデアの宝庫であるから。