なぜ「於大の方」は家康に側室・子づくりを勧めたのか

 於大の方は、織田方である阿古居城(別称:坂部城・阿久比城)主の久松俊勝と再婚。三男三女をもうけている(三男四女という説もあり)。

 第10回では「私なんて殿のほかに6人も産みましたぞ」というセリフを吐いて、家康に「はよ側室を置きなされ」と訴えている。

 於大の方が久松俊勝との間に生んだ3人の男子は、康元・康俊・定勝である。家康はこの異父弟の3人を兄弟として処遇し、「松平」を名乗るように言い渡している。3人もそんな家康の計らいに応えるべく、時には合戦に参加し軍功を上げ、時には人質として敵地に乗り込むこともいとわなかった。

 異母弟の3人が家康を生涯にわたって支えたことを思えば、一族の強化が体制を盤石にしたといえよう。ドラマのように、於大の方が側室を家康に勧めて、子を産ませようとしたのも、家の繁栄を考えれば当然のことだろう。

 家康が妻子を見捨てる際にも、於大の方が汚れ役を担っている。「主君たる者、家臣と国のためならば己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」とまで言えるのは、それだけの経験をしている於大の方だからこそ。

 幾多の苦難を乗り越えてきた、於大の方。パワフル母ちゃんぶりが「ニュー於大の方」として案外しっくりしてきたように思う。家康が「気弱なプリンス」として描かれているだけに、於大の方が尻を叩く場面は、これからも見られそうだ。