徳川氏による三河国支配の拠点だった岡崎城

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第11回放送『信玄との密約』は、家康が甲斐の武田信玄と対峙。密約を交わして今川領を切り取ることを決めている。のちに家康と信玄が激突することを考えても重要な回となった。第11回の見どころポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

なぜ「徳川」に改姓する必要があったのか?

 徳川家康は1566(永禄9)年、従五位下・三河守に叙位任官がなされている。「桶狭間の戦い」の混乱に興じて、今川氏の人質から脱して岡崎城で独立したのが、1560(永禄3)年のこと。6年を経て、三河支配の正統性を朝廷から認められることとなった。

 このときに家康が、従五位下・三河守に叙位任官されるために、わざわざ行ったことがある。それが「改姓」である。「松平」の姓のままでは国守に任じられた前例がないため、源氏の流れをくむ「得川」の姓から「徳川」へと改姓することとなった。

 といっても、姓を変えるのは、改名ほど簡単ではなく、その根拠を朝廷に示さなければならない。第11回で冒頭から、みなで家系図をひっくり返していたのは、そのためである。松本潤演じる家康が「松平家が源氏の流れなんて怪しいもんじゃ」とこぼすと、酒井忠次らが官職について、朝廷のお墨付きをもらうことが大事だと説いている。

『どうする家康』では、家康が「気弱なプリンス」として描かれており、三河の一向一揆などの困難を乗り越えるなかで、ようやくリーダーの自覚が出てきたところ。官職につくために、改姓の下工作を家臣に命じる用意周到なキャラではない。そのため、ドラマではあくまでもしっかり者の家臣たちに引っ張られるかたちで「徳川」への改姓を実現させている。

 過去の放送回では、松平元康から「家康」に改名する際にも、家康が「三河を一つの家のようにしたい」という夢を名前に込める一方で、大森南朋が演じる家臣団のリーダー、酒井忠次は「武家の元祖であらせられる八幡太郎源義家公の『家』でございますな?」と補足。いかにも補佐役らしい立ち回りをみせた。

 リーダーは大きなビジョンを語り、下についていく者たちがそれを実現させるべく、実務を行う――。『どうする家康』での家康と家臣団たちの関係は、成果を出す組織としても理想的ではないだろうか。「徳川」への改姓に汗を流す、家康を支える家臣たちをみて、そんなふうに思った。