静岡駅北口にある竹千代と今川義元の像

 NHK大河ドラマ『どうする家康』では、主人公の徳川家康のみならず、周辺の人物も従来のイメージとは異なる描き方がされており話題を呼んでいる。第6回放送分では、作戦が失敗に終わった前回に引き続き、今川氏の支配する駿府に残した妻子を奪還すべく、家康と本多正信や石川数正らの家臣が活躍する。第6回の見所ポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。なお、言及するのはまだ家康が「元康」と名乗っていた頃だが、この記事では「家康」で統一する。(JBpress編集部)

現代組織にも通じる今川氏真「リーダーの資質」

 前回の放送では、家康の妻子の奪還に失敗した松山ケンイチ演じる本多正信と、山田孝之演じる服部半蔵。石川数正ら重臣が冷たい視線を送るなか、正信は新たな作戦を提案する。それは「今川家重臣を生け捕りにして、家康の妻子と交換してもらう」というものだった。

 具体的には、家康が西郡上之郷城(蒲郡市)を攻める一方で、正信の命を受けた半蔵らが忍び込み、上之郷城主の鵜殿長照と、その二人の息子、鵜殿氏長と氏次を人質にするというもの。ほかに策もないため、家康は正信のアイデアに賭けることにした・・・そんなドラマの展開となった。

 結果的には、野間口徹演じる鵜殿長照は自害したために捕らえられなかったが、二人の息子の身柄を押さえることに成功。身投げしようとする二人を忍者ならではの方法で捕縛するシーンは実に見応えがあった。

 人質交換の交渉役となった石川数正を、松重豊が好演。家康の命を受けた数正は、敵地に乗り込んで命を危険にさらしながらも、今川氏真を相手に鬼気迫る交渉をやってのける。

 そんな「家康の妻子奪還プロジェクト」について、文献ではどのように扱われているのだろうか。江戸時代初期に旗本の大久保忠教が著した『三河物語』では、次のように記載されている。

「西之郡の城をこっそりと忍びよって、鵜殿長持(長照)を討ちとって、二人の子供を生け捕りにした」

 このプロジェクトの遂行を視聴者が見守るというのが今回の放送だが、今川家の重臣ならば誰でもよいわけではなかった。鵜殿長照の一族ではないといけない理由が、ドラマできちんと説明されていた点が印象的だった。

 鵜殿長照と今川氏真は従兄弟同士になる。これは史実だが、ドラマとして説得力を持たせるために、想像を膨らませてこんな状況解説が加えられている。

「忠義を尽くしてきた鵜殿長照の一族を見捨てた場合は、ほかの家臣が今川氏真に不信感を持つ。だから氏真は人質交換には応じるはず」

 と、作戦を考えた本多正信に語らせているのだ。これは、現代の組織論に照らしあわせても説得力がある。古参の社員が不当に扱われて、経営者から切り捨てられれば、直接的に関係はなくても下で働く者たちは「明日は我が身では?」と考えて不安になるもの。

 名門の今川氏を立て直す氏真は、リーダーという立場上、家康の妻子を手放してでも、これまで今川氏に尽くしてきた鵜殿の一族を守らざるを得ないだろう、というわけだ。