東照公産湯の井戸。家康が岡崎城内で誕生した際、産湯にはこの井戸の水が用いられたという

 NHK大河ドラマ『どうする家康』が序盤から話題を呼んでいる。第3回目では、いよいよ徳川家康が「桶狭間の戦い」で敗れた今川氏から離れて織田信長につくが、そこには当然、家康の苦悩があった。第3回放送分の見どころポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

大河ドラマで着目したい「親子関係」の有り様

 私が大河ドラマでいつも着目しているのは、主人公が幼少期に親とどんな関係を築いていたのかということ。親子関係の有り様が、主人公の人生における分岐点において、大きな影響を及ぼすことが少なくないからだ。

 例えば、主演の吉沢亮が実業家の渋沢栄一を演じた『青天を衝け』では、百姓でありながら商才にも長けた渋沢市郎右衛門が、栄一の父として第1回目から登場。栄一は父の仕事を手伝いながら、仕入れる原料の見極め方や商業的なセンスを磨いていく。

 ところが、江戸で尊王攘夷思想に出会ったことによって、父と同じ価値観を持てなくなってくる。「父とは別の道を歩む」、そう決断した瞬間が、渋沢栄一にとって人生の大きなターニングポイントとなった。

 一方、徳川家康の場合は、たった3歳で母と離別。さらに6歳のときに父の意向で、今川氏へ人質に差し出されている。どんな親子関係だったのかを示す幼少期のエピソードは皆無だ。大河ドラマ『どうする家康』でも、生母である「於大の方」と、幼少期の家康の関係を描くのは難しいだろうと思った。

 しかし、前回の第2回放送では、家康が生まれた年について異説があることを逆手にとり、斬新なストーリー展開がなされた(前回記事「『どうする家康』の疑問、諸説ある家康の生年、信長と家康は会っていたのか?」参照)。生母の於大の方が、我が子の誕生が寅年になるように“捏造”したというのだ。物語のなかで於大の方が、生き生きと動き始めた瞬間でもあった。

 それにしても、今回の大河ドラマでは、於大の方がずいぶんと型破りなキャラクターとして描かれている。どちらかといえば、運命に翻弄された悲壮感が漂うイメージなだけに意外だったが、第3回目の放送をみて、今回の大河ドラマで彼女が担う役割が少し見えてきた。