「海口は吠えたてて、その声は雷電のよう」
2011年3月11日。茨城県つくば市の産業技術総合研究所(産総研)に勤める宍倉正展さんは、津波で大勢の人が亡くなったニュースを知って「私の胸の中は後悔の念でいっぱいになり、激しく痛んだ」と著書*1で述べている。
産総研活断層・地震研究センターの宍倉さんらの研究チームは、宮城県や福島県で過去に巨大津波が押し寄せていた事実を調べ上げ、文部科学省に前年までに報告していたからだ。
11年3月23日には、福島県庁を訪問して、大津波襲来の危険性を説明する予定も決まっていた。地域の住民に、過去の大津波で浸水していた事実と将来のリスクを知ってもらうために「津波浸水履歴地図」を無料配布することも計画していた。
宍倉さんらが突き止めていたのは、貞観地震と呼ばれる仙台湾沖で発生するマグニチュード8.4の大地震の正体だった。
869年(貞観11年)、仙台平野を襲った津波は、平安時代の史書『日本三代実録』にこんなふうに書かれている。
「海口は吠えたてて、その声は雷電のようであった。そして、激しい波と高潮がやってきてさかのぼり、また漲り進んで、たちまち多賀城の直下まで到来した。海を離れること数十百里の距離まで冠水した様子は、広々としてその果てを区別することができない。原野や道路はすべて青海原のようになってしまった」(保立道久『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』岩波新書 2012)
*1 宍倉正展『次の巨大地震はどこか!』ミヤオビパブリッシング 2011