当時の百里は約53キロ。当時、東北の中心地だった多賀城(宮城県多賀城市)から約54キロ離れた仙台湾南端付近まで、仙台平野が広く津波で冠水した様子だと解釈されている*2。
*2 柳澤和明「869年貞観地震・津波発生時における陸奥国多賀城周辺の古環境」歴史地震 (34):2019 p.127-146
貞観地震の研究、生かせず「自分を責めた」
貞観地震については、この古文書に書かれている程度しかわかっていなかった。そこで宍倉さんらの研究チームは、2004年から2010年にかけて、仙台平野、石巻平野、福島県北部沿岸400地点以上を掘削して津波堆積物の分布状況を調べた。仙台や石巻付近では海岸線から3〜4キロ内陸まで津波が浸水していたことを確かめた。
「結果論ではあるが、貞観地震の津波堆積物が見つかった地域では、津波の浸水規模予測はおおよそ成功していたと言える」と宍倉さんは述べている*3。
地層の重なり具合から、500年から800年間隔で同様の巨大津波が発生していることもわかり、次がいつ起きてもおかしくない状況だった。
宍倉さんらの研究成果などをもとに、東北地方沿岸を襲う津波の最新予測を、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)がまとめ、当初は2011年3月9日に発表する予定だった。東日本大震災の2日前だ。ところがそれは、2月17日に突然、4月に延期されてしまっていた。
予測をとりまとめた島崎邦彦・東大名誉教授は、東電旧経営陣が強制起訴された刑事裁判(2018年5月)で、こう証言している*4。
「順調にいけば、3月の9日ですね。水曜日に評価をして、その晩の7時のニュースと、翌日10日の朝刊で、東北地方には海岸から3キロ、4キロまでくる津波があるんだという警告が載ったでしょう。そうすれば、その翌日の津波に遭遇した人は、ひょっとして、昨日見た、ああいう津波があったというのを思い出されて、おそらく何人かの方は助かったに違いないと思うわけです」
「貞観津波について、報告書では、海岸から非常に遠いところまで津波がくるんだ、これが本当に一般の人に知らせたいことなんだということで、報告書を途中で書き直してもらったぐらい、そのことは考えていましたので、なんで4月に延期したのかと思って、自分を責めました。ああ、これで一体何人の方が命を救われなくなったのだろうか。これは、確かに私もその責任の一半はあるんだと思いました」
*3 宍倉正展「東日本大震災以降の古地震・古津波研究と防災施策」安全工学 54(5):2015 p.331-339
*4 島崎邦彦「葬られた津波対策をたどって−3・11大津波と長期評価」第16回
「科学」特別公開記事・資料 https://www.iwanami.co.jp/kagaku/shimazaki-16.html